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強制収容所を生き抜いた精神科医、V.E.フランクルの名著『夜と霧』

言わずと知れた名著『夜と霧』、ご存知の方も多いとは思われるが、知らない方やまだ読んだことのない人が本書を手に取るきっかけになれば幸いである。

本書は、ユダヤ人の精神学者V.E.フランクルが、強制収容所での実際の体験を赤裸々に語ったものであるが、フランクルの何がすごいかと言えば、収容所の悲惨さや人間の残酷さ、極限とまで言える絶望的な状況を実際に体験しても、人間それ自体を否定しきらなかったところだ。

自分なら、人を恨んでやまないだろう。
自分や家族を収容所送りにし、自分以外の家族を皆殺しにした人間というものを、決して許しはしない。

しかし、フランクルは違った。
人の残酷さを見、その身で味わい、それでもなお人間を恨むことなく、ただ冷静に収容所というものを見続けた。

その冷静な眼差しの先にあったのは、「人間」の本質であり、人間というものが持つ僅かながらも確かな希望であった。

たとえば、こんな話があった。現場監督(つまり被収容者ではない)がある日、小さなパンをそっとくれたのだ。わたしはそれが、監督が自分の朝食から取りおいたものだということを知っていた。あのとき、わたしに涙をぼろぼろこぼさせたのは、パンという物ではなかった。それは、あのときこの男がわたしにしめした人間らしさだった。そして、パンを差し出しながらわたしにかけた人間らしい言葉、そして人間らしいまなざしだった……。

V.E.フランクル『夜と霧』

自分を含め、人間というものに絶望したくなる瞬間は多々あるが、そんな時はフランクルのことを思う。強制収容所に入れられた彼がーー人類史上もっとも悲惨な現場であったホロコーストを体験してもーー見捨てなかった人間というものを、この程度の苦しみしか知らない自分が捨てていいのかと。

自分の力だけで人間を信じ抜くことは難しいかもしれない。しかし、フランクルが残した言葉は、それを可能にするのだ。人間には、いかなる状況にあっても人間を信じきるだけの力が、自分を信じきるだけの勇気が備わっているのだ。

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。

V.E.フランクル『夜と霧』

どんなに絶望してもフランクルのこの言葉だけは覚えておいてほしい。
「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ」
僕たちは自分がどうあるかを、決定し続けている存在なのだから、どんな風にもなれるのだということを。


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