教師の道を選んだ理由ときっかけ
2022.1.20【95限目】
私は教職を天職だと思って勤めてきました。72歳で退職した時は学校へ行けないことが、寂しかったのを覚えています。教師になった時は、こんなに長く教職に就けるとは思ってもみないことでした。
学校は楽しい所
私は小さい頃から母の話を聞くのが好きで、母の話はいつも楽しく面白かったです。
田舎で生まれ、自然の中でのびのびと育った母は、小さいころの話を良くしてくれました。親戚の同い年の男の子と、いつも一緒で、成績もその子と1・2を競ったこと。徒競走では、学校代表になって郡の大会に出たことや、雪の降った朝には、新雪に顔や手を押し付けて、その形を楽しんで登校したこと。裏の竹やぶの山道の坂をお父さんに竹で作ってもらったスキーの板で、友達と暗くなるまで滑って遊んだ話など。
そんな話を聞きながら、友達と勉強したり遊んだりする学校は、楽しい所と、母の話から想像して、学校に行くのが楽しみでした。
身体を動かすのが楽しい
小学校に入学して、1・2年の先生は、年配の先生で、遠足の前日の説明会では、必ず最後に「朝はウンちゃんをしてくるように。」と、みんなをいつも笑わせてくれる、楽しい先生でした。
3・4年の先生は、遊びが大好きで、勉強よりも遊びの時間のほうが多かったのではないかと思うぐらい楽しかったです。
5・6年の先生は、柔道が得意で、熱心な先生でした。3・4年で遊んだ分、私の学力が、すご~く落ちているのを感じる学年でもありました。5・6年でその先生のおかげで、勉強の面白さを教えてもらいました。
近所の友達と一緒のクラスになって、朝早くから学校に行って、運ていをしたり、高鉄棒に上がり、飛行機飛びでどこまで飛べるかを競ったり、体を動かすことが楽しく興味を持ちました。
目立つこともいいかも
中学校は、20クラスもあり、1クラス50人以上の団塊の世代で、名前を覚えてもらうだけでも大変な学校生活でした。そんな状態ですから、運動クラブも。練習場所も少なく、ひしめいている感じでした。
私は、担任の先生が担当している社会科クラブに入り、3年生の時に、「大阪は水の都橋の都」というテーマで川や橋が、大阪の発展に大きな役割をしてきたことなどを調べて、朝日放送のテレビに出演しました。
それから少し名前を覚えてもらえるようになって、人前で話す面白さを知りました。それが、人前で話すのも面白いなあと思ったきっかけです。
体育の先生になりたいと思ったきっかけ
高校に入学し、運動部が充実していて、私は、器械体操部に入部しました。体育の先生が面白く、今までに出会ったことが無いくらい、体を動かす楽しさを教えて下さり、新鮮な気持ちでした。
こんな先生になりたいなあと、思うようになり、器械体操部の監督や先輩や仲間と、技を考え、指導法を学ぶことで、器械体操部の指導と高校の体育教師になりたいと思うようになり、目標を持ち、楽しく過ごす高校生活でした。
大学は、器械体操部のある学校に進学することを決めました。大学生活は、体育の教師になりたい人や、クラブ競技として学校の代表や日本代表を目指している人等、目標を持った学生の集まりで、個性豊かで、面白く、そんな仲間の中で学ぶのは楽しかったです。
中学校の体育の教師になる
私は高校の体育の教師になりたいと、大阪府の高校の体育の採用試験を受けました。中学校は同じ大阪府を受けることが出来ないので、滋賀県を受験しました。
大阪府の受験の結果は不合格で、4月からは、滋賀県の中学校の体育教師になり、誰も知らない滋賀県北西部の中学校に赴任しました。滋賀県を選んだわけは、夏は琵琶湖で泳げる。冬は箱館山で滑れるという理由でした。
高校教師になる
私は、女2人の長女で、後継ぎだと思っていたので、大阪を離れて滋賀県に行くことが決まった時、3年間滋賀県に行かせてほしいと、両親に頼んで、滋賀県に行きました。
楽しかった3年間を終えましたが、大阪府との交換人事が無かったので、退職して大阪に帰ってきました。
滋賀から帰って、今までできなかったこと、テニス教室・料理教室・観劇・映画・音楽鑑賞等を4月から始めました。
でも、なんとなく毎日が物足りなく感じていた時、友人から「高校の体育の教員の欠員が出来たのでやりませんか。」と、言う話があり、あこがれの高校の教師になり、多くの学生を前に授業が出来る喜びがありました。2年目に夫と出会い結婚して3月に退職しました。
小学校の教師になる
結婚をし、子育てをしているころ、夫の実家に行ったとき、義弟が、友人の結婚式から帰ってきて「A君(新郎)は、えらい奴や。大阪の会社で出会った彼女が、岐阜国体のスキーの大回転に出場する目的で、岐阜県に帰ったので、その彼女と結婚する為に、通信教育で小学校の免許を取り、今回岐阜県の小学校の採用試験に合格したので、やっと今日、結婚できた。」と、話してくれました。
私は、その時、ビ、ビ、ビ~。と、来ました。「私にもまだ道がある!」と、それから調べたら、大阪市内で、説明会があるという情報を得て、心弾ませて参加しました。
その年から私はまた大学生です。子育てをしながらの勉強でしたが、久しぶりに楽しかったです。これも、そのチャンスをくれた夫・両親・子どもたちの協力で、実現したことだと思っています。
大阪府の採用試験に合格するまで2年かかり、34歳の時小学校の先生になりました。
それから72歳まで教職を続けることが出来ました。”夢はかならず叶う“ 思い続ければ叶うのだと思いました。
あまり目立たない子供が、好きな仕事に出会い、それを続けてきたことは、私に関わって下さった人たちのおかげだと思います。感謝です。
話しが長くなりましたが、これが私の教師になった理由と小学校の先生になったきっかけです。
【編集担当より】
#この仕事を選んだわけというお題を目にして。95限目で初めて母親にお題を出してみました。
記事を読んで、小学校の先生になったきっかけなど初めて聞いたので新鮮でした。天啓とかターニングポイントとか言うのでしょうか。『ビ、ビ、ビ~』と来たことには、チャレンジしてみると道が開けるのかもしれませんね。
自分の年表ではないですが、自分の仕事を選んだ理由を文字にしてみるのも面白いかもしれません。記事に書いて発信するとよりいいですね。ほんと良いお題ですね。
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