書評:北條雅一著『少人数学級の経済学』(経セミ2023年10・11月号より)
評者:篠崎武久(しのざき・たけひさ)
早稲田大学理工学術院教授
少人数学級政策の科学的根拠を丁寧に解き明かす
本書は、教育政策のうち、特に少人数学級の実施がもたらす効果と、少人数学級実施の実現可能性について、経済学的な視点から論じた複数の研究により構成されている。著者もまえがきで述懐するように、少人数学級に関する研究は教育経済学の分野における限られた一領域ではある。しかし、少人数学級の効果の検証に加えて、少人数学級の実現可能性、つまり、どのような条件が整えば少人数学級を編制することが可能となるのかを併せて考察すると、たとえば少人数学級の費用対効果の検証(本書では主に第5章で取り上げている)や教員採用に関わる問題(同第6章)など、教育政策に関するより広範な課題についての検討が必要となることがわかる。その意味で、教育政策を経済学の観点から検討する際に、少人数学級に関する研究を入口とするのは、ごく自然な接近法であるといえよう。以下で簡単に紹介するように、本書はその入口に立つ、優れた案内役である。
第1章で、著者は因果推論の手法を用いて、学級規模の縮小が学力に与える効果を示す。日本の学校を対象として、因果推論に基づいて学級規模と学力との関係を検証した研究は、徐々に増えてきたとはいえ、いまだ蓄積が不足している。その中で、第1章の基になった研究は、先駆的かつ信頼性の高い研究結果として数多くの研究に引用されている。
同時に、政策形成の場においては、学級規模の縮小が学力に与える効果が限定的であることの根拠として、著者の研究結果がしばしば引用された。その状況に著者自身は少なからぬ違和感があったようである。著者は、自身が過去に示した研究結果も含めて、少人数学級の効果についてあらためて整理する作業に取りかかる。それらの結果が、第2章以降を構成する。第2章から第4章は、学力以外の指標、たとえば非認知能力やいじめ、教師が感じるストレスや仕事満足度を従属変数として、学級規模の縮小の効果を検証している。学級規模の縮小の効果を、より多面的に捉えようとする試みである。第5章は少人数学級の費用対効果について検討している。学級規模の縮小の効果をより長期的な視点から測ると、少人数学級の実施は一定の費用対効果を持つ政策として捉え直すことができることを示している。これらの検証作業の結果を基に著者が示す結論は明快で、少人数学級の実施は複数の観点から見て有益である旨が記されている。
本書の読後にあらためて感じるのは、少人数学級の実施の是非を検討する際に必要な信頼性の高い科学的根拠(エビデンス)を揃えることの難しさである。長期にわたって縦断的に計測された良質な教育データの蓄積に乏しい現在の日本において、その難しさは特に著しい。それでも、信頼性の高い科学的根拠を得るべく著者は奮闘する。因果推論の適用に加え、サブグループごとに因果効果を詳細に検討する、追試可能性を担保すべく広く公開されたデータセットを利用する、マクロの教育統計に基づいて時系列的な変化や全体像の把握に努める、教育制度の詳細や変遷を丹念に確認する、などの工夫や補強が本書には詰め込まれている。これらの工夫や補強が、本書が示す結果に大きな説得力を付与している。
教育経済学者かつ労働経済学者である著者の幅広い知見が反映されている本書の内容は、少人数学級の実施に関わる諸問題を俯瞰する際の大きな助けとなるだろう。研究者から学校教員まで、幅広く多くの人に手にとってもらいたい一冊である。
■主な目次
*『経済セミナー』2023年10・11月号からの転載。