武雄神社〜佐賀県武雄市
武雄神社(たけおじんじゃ)
【御祭神】
主祭神
武内宿禰(たけのうちのすくね)
相殿神
武雄心命(たけおこころのみこと)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
武雄心命は、武内宿禰の父。
応神天皇は、仲哀天皇と神功皇后の子。
⏬武内宿禰についての詳細はこちら
【所在地】
佐賀県武雄市。
武雄市の中央部、御船山(みふねやま)の東麓に鎮座。
【由緒】
23代神主・伴信門(ともののぶかど)が1661〜1673年前後に編纂した「武雄社本紀」によると、
神功皇后が三韓征伐の帰り、武雄に軍船を止め、それが御船山になった。
これに同行していた武内宿禰と住吉三神が御船山の南嶽に鎮座し、創建された。
創始は古く不明。
初代宮司・伴行頼(とものゆきより)に次のような神託があった。
「私は武内大臣(たけのうちのおおみな)。昔、神功皇后が朝鮮の新羅(しらぎ)を征した時に、一緒に同行していた者である。御船山の南嶽に住吉三神と一緒に祀られているのだが、畏れ多くて落ち着かない。北麓に私を祀るならば、この地に末永く幸福が訪れるであろう」
神託を受けた伴行頼は、太宰府を通じて朝廷に要望。
735年、旧暦1月17日、南嶽にあった祠を、北麓に建てた神殿に移す。
武内宿禰・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武雄心命を合祀した。
神前に、猪牝牡(ししひんぼ)2頭、野兎1羽、*鵠鳥(くぐい)2羽をお供えし、『遷座祭』が行われた。
祭典後は、本殿の鬼門(北東)に大的を設け、宮司が6本*奉射(ぶしゃ)した。
と記されている。
*奉射(ぶしゃ)
神前で大的を射ること。
古来より弓術は神事の一つ。
*鵠鳥(くぐい)
白鳥の古名。
鵠(こく)には、弓の的の中央にある黒い星の意味がある。
白鳥は、日本では宮城県〜島根県辺りで越冬する。
600〜750年頃の日本の気候は寒冷化しており、佐賀にも白鳥が生息していてもおかしくない。
現在、佐賀県でも稀に白鳥が目撃されることがある。
*三韓征伐、神功皇后、住吉三神の話の詳細は、前述の『八阪神社と不思議な狛犬〜佐賀県有田町』のブログ記事に掲載。
【武雄の大楠】
樹齢3000年の御神木。
日本大6位の巨樹。
根元の部分は約12畳の広さの空洞になっており、天神の石祠が祀られている。
社殿から150m離れた場所にある。
柵がしてあり、近くまで行くことはできない。
【夫婦檜(めおとひのき)】
縁結びの御神木。
2本の檜が、根元と樹の中間で結合している。
縁結びの願掛けの鈴が、鈴緒にたくさん付けられている。
【摂末社】
《荒神社》
「荒神さん」で馴染み深い、火・竈・台所の神。
《塩釜神社・城山稲荷神社》
塩釜神社と城山稲荷神社を合わせて祀っている。
塩釜神社は、宮城県の塩竈神社より、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)を勧請。
城山稲荷神社は、京都府の伏見稲荷大社より、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやめのみこと)、摂社の田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)を勧請。
《下宮》
御祭神:平群木兎宿禰(へぐりづくすくね・へぐりつくのすくね)
所在地:御船山の北嶽。武雄神社から道路を挟んだ徒歩1分くらいの場所にある。
武内宿禰の子。
《上宮》
御祭神:住吉三神(すみよしさんしん)
所在地:御船山の南嶽の頂上。
住吉三神とは、底筒男神(そこつつのおのかみ)・中筒男神(なかつつのおのかみ)・表筒男神(うわつつのおのかみ)のこと。
《黒尾神社(境外末社)》
御祭神:影媛(かげひめ)
所在地:武雄市朝日町
古事記では、山下影日売(やましたかげひめ)と記されている。
武内宿禰の母。
武雄市山内町にも黒尾神社がある。
影媛の墓は、福岡県小郡市の竈門神社ともいわれている。
武雄神社についての詳細は下のブログ記事に掲載。
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