雑誌『教育と医学』(2020年11・12月号) 「特集にあたって」「編集後記」公開
雑誌『教育と医学』の最新号、2020年11・12月号が発売されました。今号の特集は、「演劇的手法で発達と学びを支える」です。「特集にあたって」と、「編集後記」を公開します。ぜひご一読ください。
特集 演劇的手法で発達と学びを支える
特集にあたって 演劇的手法による学びと癒し――情緒と表象が生まれる身体、そして身体表現に寄り添う | 古賀 聡
発達支援としてのドラマ | 中村昌子
生涯発達を支えるドラマ | 古川 卓
子どもたちの癒しと成長を支える遊びとドラマ | 安島智子
発達障害児の思春期の人間関係を支えるドラマ | 村上広美
発達障碍のある子どもとの「対話」を支えるドラマ――エピソードと情動体験の描写 | 五位塚和也
身体障害のあるひとの表現活動を通した学びとその基盤 | 宮本 聡
特集にあたって
演劇的手法による学びと癒し――情緒と表象が生まれる身体、そして身体表現に寄り添う
古賀 聡
二〇二〇年冬に発刊される「教育と医学」の特集が、なぜ「演劇的手法で発達と学びを支える」なのか説明しておく必要があるだろう。本号の特集は当初、二〇二〇年七・八月号の特集として二〇一九年の十一月に企画された。しかし、コロナ禍によってもたらされた子どもたちへの影響について、「教育と医学」としての発信の必要を考え、二〇二〇年七・八月号では「社会不安のなかで子どもを支える」の緊急特集を組むこととなった。
学校教育の現場では、道徳教育においては役割演技(ロールプレイング)が活用され、「ドラマ教育」と呼ばれる演劇的手法を用いた授業が実践されている。大学を中心とした教育機関では、座学中心の教授型学習を脱却し、対話を通した主体的な学びが推奨され、自らが学ぶ力を涵養することが新たな教育課題となった。対人援助職の養成課程では役割演技を用いた教育や研修が行われている。与えられた知識、用意されたマニュアルに依存することなく、まずは自らの経験をしっかりと振り返り、他者と交流しながら、柔軟な対応力のある智慧を身につけることが生涯発達の観点からも重要である。それは、社会制度や科学技術の激動的変化にさらされ続ける現代を生き抜くための力を育むことにつながる。
発達支援や心理臨床の現場においても、カウンセリングや心理教育的アプローチでは得ることのできないリアルな感情体験をともなう自己理解を提供する方法として「心理劇(サイコドラマ)」が注目されている。即興劇を用いる集団心理療法である心理劇は、自分の現状を振り返るだけでなく、新たな自己の可能性を発見し、創造的な自己活動を支える。身体表現や行為による、まさに全身全霊をかけた自己表現が集団から受け止められ、自己存在の意義を確認する機会となる。
今回の特集で吉川先生、古川先生、安島先生、村上先生、五位塚先生は、心理劇、あるいは心理劇のエッセンスを取り入れた実践を紹介してくださった。対象は幼児から高齢者までまさに生涯発達に寄り添う教育実践と支援である。各年代の特性や発達障害など対象者の特性に応じた実践についてわかりやすく解説されている。宮本先生からは、脳性麻痺、筋ジストロフィーなどの身体障害者の表現活動としての演劇的手法を用いた実践を紹介していただいた。
いわゆる「新しい生活様式」における教育や発達支援で大切なことは、感染リスクという見えない脅威に怯えて、これまでの実践を通じて積み重ねられた経験知を放棄しないことである。慎重な予防対策を取りながら、これまで発展させてきた豊かな教育的方法や支援方法の活用を工夫する必要がある。人が人らしく生きるために必要な情緒と表象(イメージ)の基盤である身体の存在を忘れてはいけない。身体表現や行為による自己表現の「舞台」までも放棄することがあってはいけない。
二〇二〇年の冬も引き続き、演劇的手法を用いた教育や発達支援の実施は制約を受けている。特集のさらなる延期も考えたが、いまこそ、読者の皆様には本号特集のユニークで豊かな実践が紹介された論文を読んでいただきたいと考えた。ドラマは過去の再現による懐古や追憶のみを提供するわけではない。共感的な集団での演技の経験は未来、希望へとつながれていく。そう遠くない未来における演劇的手法による教育や発達支援の挑戦を誓いたい。
古賀 聡 (こが さとし)
九州大学大学院人間環境学研究院准教授。博士(心理学)。九州大学大学院人間環境学研究科博士後期課程単位取得後退学。専門は臨床心理学。医療法人十全会おおりん病院臨床心理士を経て現職。著書に、『臨床動作法の実践を学ぶ』(共著、新曜社、二〇一九年)、「中年期・高齢期のひとへの健康動作法」(『ふぇにっくす』第75号、二〇一七年)ほか。
編集後記
私たちは日々、演じることによってこの世界のなかで生きています。もちろん、それは誰かを欺いたり取り繕うために行動しているという意味ではなく、親として、教師として、友人として、通りすがりの者として等々、それぞれの状況に呼応するかたちで私たちの誰もが振る舞っていると言えるからです。私たちにとって「演じる」ということはそれくらいに自然で、当たり前のことなのです。
今回、そうした演じる存在としての私たちの生のあり方をベースとして、そこからの連続性のうちで、演劇的手法を理論的・実践的に深められている諸論考をお寄せ頂いています。身体障害のある人の表現活動や子ども、さらにはあらゆる世代の人の成長を支える心理劇に関する最新の研究の数々は、「演じる」ことが持つ可能性をあらためて示すものです。その意義を2点に絞って確認してみたいと思います。
まず、「演じる」ことを通して、私たちはその人の振る舞いを「いま・ここ」で経験し共有できます。それは共同で構築された演技の舞台であり、そこで生じた行為の意味の場が生成した瞬間とも言えるものです。そのような振る舞いには、言葉だけによらない表現、より端的に言えば、身体的な表現の可能性が含まれています。言葉がより限定された表現行為であり、それらを身体的な振る舞いの層が支えていることに、私たちはあらためて気づくことができるのです。それは、「身体の語り」としての演技の地平に私たちが立っているということだと言えます。
また、その「身体の語り」を理解しようとする態度が、「いま・ここ」で生じるということも重要です。それは、言葉による理解が、特に治療の場では「事後的」「遡及的」に行われるのに対して、共有された時空間を重視するものだからです。このように、私たちが多くの他者たちとの関係性の網の目において、この身体を通して関わり、生きているということを、あらためて意識させてくれる経験こそが「演じる」ということであるのです。
(藤田雄飛)
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