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【試し読み】カンタベリー物語 神が細部に宿る、豊饒な物語世界

「英詩の父」ジェフリー・チョーサーの代表作が『カンタベリー物語』です。

カンタベリー大聖堂への巡礼の途上、職業も身分も異なる巡礼たちが語る多種多様な物語は、キリスト教を支柱とする一枚岩的な世界とは異なる、中世ヨーロッパの豊饒な世界を描き出し、物語文学のジャンルを拡張する画期的な作品でした。

これまでに何度も映画化されていますが、1972年公開のパオロ・パゾリーニ監督版『カンタベリー物語』は同年のベルリン国際映画祭金熊賞も受賞しています。

本書『チョーサー『カンタベリー物語』――ジャンルをめぐる冒険』(松田隆美 著)では、神が細部に宿る『カンタベリー物語』の世界のダイナミズムを丁寧に描いていきますが、「序」では『カンタベリー物語』のあらすじや構成、その魅力をとてもわかりやすく解説していますので、ぜひご一読ください。

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序 『カンタベリー物語』の中世的な面白さ

 20世紀後半を代表する批評家のハロルド・ブルームは1994年に、中世以降の欧米文学の代表作26点を挙げて論じた『ウェスタン・キャノン』(西洋文学の正典)という評論を刊行した。そのなかで「シェイクスピアを除くと、チョーサーは第1位の英語作家である」と述べて、シェイクスピア、ダンテ、セルバンテスといった中世・近代初期のヨーロッパを代表する作家たちとチョーサーとを同列に論じている(注1)。英文学を代表する作家がシェイクスピアであることに異を唱える人は少ないだろう。続く第2位の作家が誰かについては、ジョン・ミルトンを筆頭として何人かの候補があがるだろうが、そのなかにジェフリー・チョーサー(1340頃~1400年)も含まれることは間違いない。
 チョーサーが英文学史上最重要作家の一人であるという認識は、近代になって英語文学の歴史が意識的に編纂された時にはすでに存在していた。17世紀後半の王政復古期を代表する作家の一人ジョン・ドライデン(1631~1700年)は、1700年に翻訳詩集『古代と近代の寓話』を編纂した。これは、古代、中世の主要作品の抜粋を集めた「名作アンソロジー」の嚆矢ともいえる仕事で、ホメロス、オウィディウス、ボッカッチョの英訳、そしてチョーサーの『カンタベリー物語』、ドライデン自身の作品などが抜粋で収録されている。ドライデンは、自分の時代のイギリス文学を中世から古代へと溯る西洋文学の偉大な伝統に結びつけようとしていて、このアンソロジーの序文でチョーサーを「英詩の父」と呼んでいる。チョーサーはイギリス文学の伝統を形成する最初の重要作家であるという認識は、今日まで続いていると言える。
 『カンタベリー物語』はそのジェフリー・チョーサーの代表作で、29名の巡礼者たちが、ロンドンからカンタベリー大聖堂へと向かう道すがら、順番に話を披露するという物語集である。彼らに同行する宿屋の主人の発案で、全員が「行きと帰りに2つずつ」話をして、最後に一番ためになって一番愉快だった話を1つ選んで、その語り手に皆で食事を驕ってやろうという趣向である。巡礼たちは、騎士、女子修道院長、修道女、托鉢修道士、教区司祭、免償説教家、弁護士、貿易商人、郷士、粉屋、料理人、船長、バース近郊から来た婦人、そしてチョーサー自身など、身分も職業もばらばらな一行で、語られる話も多ジャンルに渡っている。『カンタベリー物語』は全部で24の話で構成され、散文の2話を除くとすべて韻文で、多くは弱強五歩格の二行連句で書かれている。14世紀の英語で記された原典は、綴り字や一部の文法規則が現代英語とは異なるため多少難しいが、中英語(1100年から15世紀までの英語)の専門知識がなくても、慣れてくれば校訂版の注の助けを借りて読めるし、また、日本語訳も複数存在している。

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エルズミア写本からチョーサー本人の肖像

 24の話はそれぞれ独立していて、語り手の多様性を反映してか、特定のジャンルやテーマに偏ることなく、古代を舞台にした騎士物語、エロティックな笑話、聖女の殉教伝、動物寓話、騎士道ロマンスのパロディなど実にさまざまである。これらの話(「騎士の話」、「女子修道院長の話」などと、内容ではなく語り手で呼び分けられている)は、現代の校訂版では全部で10のフラグメント(断片)と称されるグループに整理されている。その理由は、チョーサーが『カンタベリー物語』を晩年の1388年頃から書き始めて未完のまま1400年に没したため、書かれなかった話もおそらくあり、また、書き上がった話の場合でも、それらの最終的な並び順が不明だからである。この分類は19世紀以降の編者が考えた便宜的なもので、中世に制作された『カンタベリー物語』の写本にそうした指示がある訳ではない。しかし、チョーサーが意図したであろう話の並び順を念頭において考案されたもので、現在最も広く流通している校訂版(および日本語訳)では、冒頭の物語全体の序(総序の歌)に続いて、以下の順番で話が並んでいる(邦訳で用いられている別の呼称がある場合はあわせて括弧内に示す)。

Ⅰ 総序の歌、騎士の話、粉屋の話、荘園領管理人の話(家扶の話)、料理人の話
Ⅱ 弁護士の話
Ⅲ バースの女房の話、托鉢修道士の話、(教会裁判所の)召喚吏の話
Ⅳ 学僧の話、貿易商人の話
Ⅴ 騎士の従者の話(見習騎士の話、近習の話)、郷士の話
Ⅵ 医者の話、免償説教家の話
Ⅶ 船長の話、女子修道院長の話、サー・トパスの話、メリベウスの話、修道士の話、修道女付き司祭の話
Ⅷ 第二の修道女の話、聖堂参事会員の従者の話(錬金術師の徒弟の話)
Ⅸ (法曹協会の)賄方の話
Ⅹ 教区司祭の話、チョーサーの取り消し文

 また、多くの場合、話本体に先だって、語り手が自己紹介をしたり話の前置きを語る「序」(プロローグ)がある。序はたいてい短いものだが、「バースの女房の話」や「免償説教家の話」のように語り手が長々と自己紹介をして、話本体よりも長くなっているものもある。またいくつかの話の後には、話くらべを仕切っている宿屋の主人や他の巡礼が短い感想を述べて次の語り手に話を引き継ぐ「つなぎ」(エピローグ)が存在する。
 チョーサーの作品は今日まで人気が衰えることなく読み続けられ、20世紀前半までの作家や批評家は、『カンタベリー物語』は「神が与えし豊穣に溢れている」とか、「イギリス精神の完璧な類型である」とか、「現実の生き写しである」とか、その多様な登場人物と物語が作り出す生き生きとした描写と話の展開に対してさまざまな賛美を浴びせてきた。研究も盛んで、シェイクスピアと並んで最も研究されている英語作家と言ってよく、特に『カンタベリー物語』については今日では、新歴史主義、ジェンダー研究、ポストコロニアリズム、図像学、書物史など、文学文化研究の主要な方法論の多くを用いて、さまざまな視点からの研究がなされている。

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カンタベリー大聖堂(撮影:Hans Musil、2005年9月)

 しかし、誤解を恐れずに言うならば、『カンタベリー物語』の面白さは、今日の読者が中世に対して期待するヒーローやヒロインを中心に展開するグランド・ナラティブのそれではない。物語集なので一篇の話は概して短めで、クレチアン・ド・トロワのアーサー王ロマンスやトリスタンとイズーの道ならぬ恋の物語のような、特定の登場人物の成長や行動を中心として、時に現実と異界を自由に行き来しつつ進展してゆくプロットとは性格が異なる。つまり、アーサー王ロマンス群やあるいは二一世紀における中世風ファンタジーの一例とされる「ゲーム・オヴ・スローンズ」のように、その作品群が作り出す物語世界――ナラティブ、登場人物、宗教観、地理、魔剣に代表されるガジェット――が周到に準備され、主筋に加えてさまざまな副筋やスピンオフの物語も存在する世界に心ゆくまで浸かるような体験を読者に提供するものではない。個々の話はそれぞれ独立していて、ジャンルも内容も実に多様である。「騎士の話」の宮廷風恋愛と騎士道の世界と、「第二の修道女の話」の初期キリスト教の奇蹟と殉教の世界と、さらには「メリベウスの話」として語られる道徳的提要に等しく興味と興奮を抱ける読者は少ないだろう。それは現代の『カンタベリー物語』の翻訳やアダプテーションにも表れている。イギリスのペンギン版の現代英語訳も現代作家のピーター・アクロイド(1949年生)が現代英語で「語り直した」版も、長くて教訓的な『メリベウスの話』と『教区司祭の話』は割愛している。1917年に刊行された金子健二による最初の日本語訳も、世俗的で喜劇的な話を主に選択した選集であった。『カンタベリー物語』は何度か映像化もされているが、ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922~75年)が監督・脚本を担当し、ベルリン映画祭金熊賞を受賞した『カンタベリー物語』(1972年)を初めとして、いずれも恋愛がからむ世俗的な話を中心に数話を選ぶ傾向が強い。
 もっとも、チョーサー自身がそうした選択的な読書に眉をひそめたとは限らない。『カンタベリー物語』のなかで、「聞きたくなければ、どうぞページを繰って別な話をお選びください」と述べて、読者に自由に好きな話を選んで読むように勧めている。しかし一方で、チョーサーは単なる物語集を編纂しようとしたのではなく、すべての話が一緒になって一つの世界が生まれるべく『カンタベリー物語』を構想していて、それは冒頭の「総序の歌」を見るだけでも明らかである。『カンタベリー物語』の面白さは個々の話だけでなく、複数の話が共存することで生じる視点や前提の多様性にある。チョーサーは中世に存在した多種多様な物語文学のジャンルを念頭に置いてそれぞれの話を記し、それらが相互に補い合うようなかたちで1つの物語世界が生まれることを想定していた。物語集的な作品は中世において人気があり、たとえば同じ14世紀に書かれたボッカッチョの『デカメロン』はその代表例と言える。しかし、主題やジャンルをこれだけ意識的に多様化した作品は『カンタベリー物語』以外にはないと言っても過言ではない。ヨーロッパ中世は、キリスト教を支柱とする一枚岩的な世界とみなされがちだが、その根幹には、この世界のものは例外なくすべて神の被造物で、むしろ部分の差異が全体としての美を作りあげているという認識があった。『カンタベリー物語』も同様で、職業も身分も異なる巡礼たちが、前提も機能も異なる多様なジャンルの話を語り合い、一緒にカンタベリー大聖堂という同じ1つのゴールを目指すという、フィクションでしか実現されない場を作り出す。『カンタベリー物語』という1つの作品を通して、この世界のダイヴァーシティを尊重し、すべてを包み込むような世界像を想像することが、巡礼たちにも現代の読者にも求められている中世的なものの見方なのである。
 本書では、『カンタベリー物語』を構成しているすべての話にまんべんなく焦点をあてることで、その楽しみ方を中世の文脈と現代の読者としての視点の両方で考えたい。そのために24の話を、校訂版に準ずるグループ分けではなく、テーマやジャンルでいくつかのグループに分類し、相互に参照しつつ、また同時代の類話とも比較しながら論じてみた。『カンタベリー物語』について読者が自分なりの読みを見いだす一助となれば嬉しいが、納得がいかなければページを繰って他の章を読んでいただきたい。文学の作品とは、作者と読者の相互作用によって、両者の間に立ち上がってくるものと考えることが可能である。作者が書き残した本文は同一でも、それを読む読者はそれぞれに異なった時代と文化に属していて、つねに変化している。その意味では、古典はつねに新たな視点からの読み直しが可能であり、本書が、読者がそれぞれの『カンタベリー物語』を見つけるガイドになれば幸いである。


1 Harold Bloom, The Western Canon: the Books and School of the Ages (London, 1995), p.105.

『チョーサー『カンタベリー物語』――ジャンルをめぐる冒険』の詳細はこちらから↓

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