【試し読み】『女性兵士という難問』 女性兵士は男女平等の象徴なのか?
現在(2022年7月)進行中のロシアによるウクライナ侵攻を伝えるニュースでも、たびたび祖国を守る女性兵士の姿が取り上げられています。また、21世紀に入り、世界中の軍隊で女性兵士は増加していますが、この現象を単純に男女平等の進展と理解して良いのでしょうか?
弊社7月刊『女性兵士という難問――ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学』は、極端にジェンダー化された軍隊という組織において、この20余年のあいだに起こったさまざまな変化をふまえながら、女性兵士が果たすことを求められてきた役割とその効果に着目し、検証を進めます。また、女性兵士の経験から現象を見つめることで、その男性中心性を明らかにしていきます。
今回は、著者が、戦争・軍隊を「ジェンダーから問う」意義やその難しさをストレートに綴った「はじめに」部分を公開いたします。ぜひご覧いただければ幸いです。
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はじめに
冷たい雨がぱらつきはじめるなか、茗荷谷の改札をぬけたところに、その人は立っていた。わたしはドキドキしながら彼女に近づき声をかけた。「あなたがシンシア・エンロー教授ですね?」、「ええ!」。キラキラした目の奥に好奇心の光がいっぱいに灯っていた。
それは2003年の冬だった。お茶の水女子大学のジェンダー研究センターが、フェミニスト国際政治学者のパイオニアであるシンシア・エンローを客員教授として招聘し、わたしは彼女のセミナーの一コマでコメンテーターをすることになっていた[1]。
わたしたちは、改札のすぐ横にあるカフェテリアに入った。それから2時間ほどだったろうか。電子辞書を片手につたない英語で自分の研究のことを伝えようとするわたしに、彼女は本当に忍耐強く耳を傾け、あなたの研究はとても重要だと全身で励ましてくださったのだった。
当時、わたしは前著『軍事組織とジェンダー――自衛隊の女性たち』のもとになった博士論文を書きあげたばかりだったが、とても孤独だった。日本のフェミニストたちにとって、自衛隊の「女性兵士」研究は歓迎されざるもの、むしろ、警戒すべきものだった。ある女性史の大家は「日本のフェミニズムの一角に女性兵士論が登場したことは遺憾だ」とはっきりと書いた。女性学の雑誌では、わたしの論文を掲載するならば自分は編集委員を辞任する、と言った人もいた。査読者から「自衛隊を軍隊として扱うような著者が将来論壇に出ていくことを憂慮する」と告げられたこともある。彼女たちが、軍事組織での男女平等な権利を求めるような主張に対し警戒感を抱く気持ちを、わたしはよく理解――共感さえ――していた。それでも、駆け出しの研究者として、「自衛隊の女性を研究するよりももっと大事なことがあるだろうに」といった類のことを言われるのはとてもつらかった。
こうした批判をする人びとは、軍隊によって明確な被害を受けている女性たち――たとえば「慰安婦」であるとか基地周辺で軍人から性暴力被害にあった女性たち――を研究することこそ、重要だと考えていた。その重要性はまったく疑う余地がなかったけれど、わたしはそれでもなお、自衛隊の女性にも目を配る必要があるのではないかと思っていた。エンローの著作に魅せられていったのはこうした自分自身の苦闘を背景としている。
女性の軍隊参入をめぐるフェミニズムの立場がけっして一枚岩でないことは本書でもさまざまな角度から論じていく。一つの分類をあげるなら、女性が増えれば軍隊はよりよいものになると考える「楽観主義者」の立場と、軍隊に女性が増えることは女性の軍事化を招くだけだと考える「悲観主義者」の立場がある。当時、日本のフェミニストたちのほとんどはこの「悲観主義者」の立場をとっていた。
しかし、エンローは第三の可能性があるかもしれない、と示唆していた。軍事化と脱軍事化は時に同時進行し、家父長制は混乱をきたすかもしれない。だから、軍隊に女性が参入するという現象をつぶさに観察することもまた、研究者が果たすべき重要な仕事である、と。
自分自身が訳出することになった彼女の主著『策略』で、次のような文章に出会った時、どんなに勇気づけられたかを、今でもはっきりとおぼえている。
「女性兵士という難問」に取り組む研究者には確かに自身を軍事化しかねないリスクが常につきまとう。だが、それは引き受ける価値のあるリスクだ、と彼女は言った。なぜなら、女性兵士を研究しないままにしておくならば、わたしたちが軍事化という過程や家父長制の適応能力についてけっして十分理解することはできないのだから、と。エンローの著作に、そして彼女自身に出会わなければ、わたしは、本書第Ⅲ部で展開したような主張――自衛隊が日本社会に根づいてきた過程を検証するにあたって、女性自衛官のはたしてきた役割に光をあてることは不可欠だ――を持ち続けることができなかったと思う。
エンローとの出会いから19年、そして、前著『軍事組織とジェンダー――自衛隊の女性たち』を上梓してから17年が経過した。この間、世界中の軍隊で、女性兵士は数を増し、その役割を拡大させ続けている。この現象を、単純な男女平等の進展と解するべきでないこと、フェミニズムにとって女性兵士は難問として存在するのであり、さまざまな立場がありうるのだということは、先にも述べたとおりである。
だが、現実社会の変化は著しい。2022年2月末に突如起こったロシアのウクライナ侵攻でも、国を守ろうと立ちあがる女性兵士の姿が耳目を集めた。ウクライナ軍には全体の22%を占める約5.7万人の女性がいると言われるが[3]、平和・安全保障分野におけるジェンダー主流化は、もはや国際的に不可逆的な潮流としてある。日本でも2015年に「女性・平和・安全保障に関する行動計画」が策定され、女性自衛官のいっそうの登用が謳われた。防衛省は2017年に女性自衛官活躍推進イニシアティブを発表するなど、少子化による募集難をも背景として、女性自衛官のさらなる増員と役割拡大が進んでいる。一方で、18歳から60歳の男性の出国を禁じたウクライナの「国民総動員令」や、ロシアとの政治的妥結を説く論者があびた激しい非難に見られるように、国を守るために闘う英雄の姿も、戦争をめぐる言説も、今なお深くジェンダー化されたものとしてあり続けている。
本書『女性兵士という難問――ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学』は、この20余年のあいだに起こったさまざまな変化も踏まえつつ、女性兵士が果たすことを求められてきた役割とその効果に注目していく。前著では、自衛隊を特殊な軍事組織として位置づけるところから脱却しきれず、女性自衛官の困難を、日本の働く女性の問題の一事例に解消してしまった感があった。しかし、本書は、英語圏において積み重ねられている批判的軍事・戦争研究の蓄積に連なり、ジェンダーの視点をもってする戦争・軍隊の社会学の輪郭を描くことを明確に志向している。
本書を貫く主張の一つは、戦争・軍隊を批判的に解剖するにあたって、「ジェンダーから問う」という視角が不可欠である、ということである。男らしさや女らしさといった観念の操作は、軍事化を推し進め、戦争を首尾よく遂行する際の要である。一方で、軍隊も戦争も、女性たちに依拠することを必ず必要としており、彼女たちの経験から現象を見つめることは、その男性中心性を明らかにするうえで欠かすことのできない作業である。本書は、「ジェンダーから問う」ことが、戦争・軍隊を批判的に考察するうえでいかに重要なのか、この視点を有することで見えてくる風景を描くことにより、示していきたい。
日本国内においては、2009年に戦争社会学研究会が設立され、「戦争と社会」をテーマにした学際的な研究ネットワークがつくられるようになった。わたし自身もその末端に連なり、ガイドブック[4]や論集[5]、「戦争と社会」シリーズ[6]の刊行に携わってきたが、ジェンダーの視点をもって現代的課題に取り組んでいる批判的社会学者はまだまだ少ないと感じている。本書は、この分野の興隆を目指し、さまざまな媒体に書いてきた論考を一冊にまとめることで、後進の研究者・学生がまとまったかたちでアクセスできるよう再編したものである。
再録にあたっては文章を全面的に見直し、加筆修正を行ったが、この作業をするなかで、自分でも驚くほど同じことを言い続けてきたのだということを痛感させられた。願わくは、それがわたし自身の成長のなさを示すのではないことを。そして、書いたものを世に送り出す時もまた、いつもただ一つ、同じ願いをこめてきた――本書を手に取った読者のなかから、一人でも多く、この分野の研究に乗り出す方があれば、これに勝る幸せはない。
(続きは本書にて)
[1]
担当したのは「なぜ軍隊“内部”の女性に注目するか」という回で、このセミナー・シリーズの記録は『フェミニズムで探る軍事化と国際政治』(〈国際ジェンダー研究〉編集委員会編,2004,御茶の水書房)として刊行されている。
[2]
シンシア・エンロー,上野千鶴子監訳,佐藤文香訳,2006,『策略――女性を軍事化する国際政治』岩波書店。
[3]
『朝日新聞』2022/7/14朝刊。
[4]
野上元・福間良明編,2012,『戦争社会学ブックガイド――現代世界を読み解く132冊』創元社。
[5]
福間良明・野上元・蘭信三・石原俊編,2013,『戦争社会学の構想――制度・体験・メディア』勉誠出版。
[6]
蘭信三・一ノ瀬俊也・石原俊・佐藤文香・西村明・野上元・福間良明編,2021-2022,『シリーズ 戦争と社会1―5』岩波書店。
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