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和菓子の土産は我慢と至福の極限値


こんばんは、けいです。今日もエッセイご覧いただきありがとうございます。
今いる栃木は猛烈な風が吹き、一日中夜かえって鍋をたらふく食べようしか考えられませんでした。

今日の食日記

日本津々浦々色んなところに和菓子の銘菓が存在する。各都道府県、いや各地方自治体レベルにまで細分化され、この街の和菓子といえばここ!という銘菓が存在する。
多くは老舗であったり、はたまた近年ぐんと新気鋭な勢力をつけたニューフェイス(京都菓子屋のなは、まさにそんな顔。宇宙にでもトラベルしたかのような新しさに度肝を抜かれた)が”うちの味”をテーマに柔らかな甘ささで街を包んで虜にしている。

僕もご存知甘党で、和洋中関係なく甘いものには目がない。大人の甘さだとか、アメリカのような甘さとか、そんな甘さの抽象的表現全てをひっくるめて全部を愛している(と珈琲。これがあれば生きていける。というか生きている価値があるとさえ思える)。

旅をすれば、その場所の和菓子を見つけ、出会い、手軽に購入したくなる。ただ、ここに難しさがあるから、いつも頭を悩まされる(分かっているのにわざわざ消費期限なんかを聞いたりして)。

何かって。和菓子(特に大福などのもち米を使った系のお菓子)は消費期限が当日という問題。確かにおいしいという感覚はそうは言っても持ち越せるかもしれないし、翌日の早朝ならまだいけるんじゃないか?と思うことだってある(日々思っている)。

ただ、2日目の大福は明白に違う。それが分かってしまうと、消費期限当日(なんならすぐ2〜3時間がおいしさのピークとさえ思う)に食べ切りたいし、お土産に買っていくのなら、尚更だ。
あのもちもちで柔らかで伸びのある求肥はやっぱり代え難いお店の方の努力と売り(付加価値)であり、それを食べて伝える必要があると勝手ながら購入する使命を抱き帰路に着くのだ。

今日のお店

京都出町柳、一際行列をなす銘菓がある。
新年の初売りですか?くらいの勢いは朝でもお昼でも夕方になっても衰えない。
ここに住んでいたらいつでもできたてに会いに来れるのになぁと大きな喪失感と共に並んだ。

これぞ初売り並の銘菓の店

京都出町ふたばさん。商品のラインナップもそんな派手なものはない。大福から団子、季節の桜餅等で、昔から変わらない味を京都の北の方から街いっぺんに吹かせている。
行列は店の前に3列ほど。
熱気は冷めることを知らず、次から次に人がやってきては、たくさんこしらえて笑顔で帰っていく。
そのスピード感もさる事ながら、切り盛りする職人さんも丁寧で誠実な対応を絶やさない。
また来たって、いつものように真心と共にたくさんの和菓子と出会えるんだろうなぁと思うと、京都に居場所ができた気持ちにまたなる。

目の前には出来立ての三色団子、塩豆大福、福豆大福、柔らかな和菓子には力強ささえ感じられ、その出来立ての甘味を隅から隅まで味わってみたい。うずうずする。

代名詞豆餅。すぐ食べたい


ここが忍耐の見せ所(必要なのか?と思うのだが、次来た時の楽しみというのは一見とてもポジティブで前向きだからやっぱり自分に言い聞かせたい)、いかに最小限で美味しさを伝えるメンバーを揃えられるか。
なんせ、帰ったって両親と僕。幸い、今すぐ食べることができる僕は、2個でも3個でも満足のいくまで味わえるが、両親にはどうしても今日この生まれたての産物を100点の状態で届けたい。無理は禁物なのだ。

悩みに悩み、名物豆大福×2と福豆大福×1を選んだ。
やっぱり、出来立ての産物、夜は少し硬くなっていたが、そうはいっても持ち前の柔らかな質感ともっちりの歯応えは残っていた。塩を効かせた大粒の小豆はこっくりと素材の風味が強く、塩気と小豆の絶妙なあまじょっぱさが、余韻にいつまでも残っていく。ここまで待って、耐え忍んだ和菓子一つ一つは、格別な甘さと優しさがあった。

また次行かなければ。そう思った。

美味しいひと時に、ごちそうさまでした。
では、また次回。


今日のお店:出町ふたば(京都市上京区青龍町 出町柳)



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