![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111415957/rectangle_large_type_2_1fb29aaf5df1ddc06cb32513acf518ed.jpeg?width=1200)
仕事終わり、格別の塩ラーメンに浸る
こんにちは、今日も食日記ご覧いただきありがとうございます。
初めての在宅ワーク。
平日の街はこんなにも穏やかなんだなぁがとても印象的です。
雲の音が聞こえてきそうなほどに。
今日の食日記は、ラーメンの適材適所のお話。
醤油はランチかな?塩は深夜かな?
一番美味しい時間帯があるはず。
今日の食日記
深夜ラーメン、これは背徳的で人々の絶対的至福の時間を意味する憧れの言葉のように聞こえる。
至福のひとときとして最も大衆化された言葉の一つと言っても過言ではないだろう。
ダメなのに止めたくない。
ご褒美として特別な日にだけ自分を許してあげたい。
そんな意味合いが、詰め込まれた言葉だ。
軽々と口にできるが、結構な決心が注ぎ込まれているように思うのだ。
その背徳的な時間は、何かを成し遂げた時にだけ、自分に解き放とう。
学生時代には、なかなか感じられなかった疲労感と社会の中でのストレス。
自分で自分を甘やかさないとやっていけない社会で生きていくという覚悟において、励ましになってくれるのが、深夜ラーメンという特別な行為なのだ。
これはもう麗しささえ兼ね備えている。
絶対的至福の時間として、「そのために頑張ろう」というゴールになるのだ。
仕事終わりのラーメンよ、永遠に。
残業も長引き、夜も21時を回った。
疲れたーと、その時の同僚と口を揃えた退勤30分前、僕の頭には今からラーメンを啜りたいという欲望がちらつき始める。
疲れた体を温泉で癒す。
そんな日常のスパイスのような癒しの時間と、少しの違いもない深夜のラーメン。
もうラーメンしか頭にないから、ここにきて仕事が捗り始める。
人間というのはわかりやすいものだ。
結局、共通認識だったらしい。
終わった瞬間、同僚と目を合わせてラーメンに車を走らせた。
深夜のラーメン、塩ラーメンが沁みるよ、と何気ないひと言をアドバイスのように捉え、舌はすでに塩ラーメンになっていた。
今日のお店
街のラーメン屋、厨房を囲むカウンターに腰掛け、一旦お疲れ様の労いを掛け合う。
ギュルルとお腹が鳴ると、即座に塩ラーメンを注文。
会話には少しの愚痴とか人生相談が並ぶも、結局は「お腹すいたね」がなん度も会話を途切れさす。
食欲というのは三代欲求、人生の目的なんだと改めて納得させられた。
![](https://assets.st-note.com/img/1687752195981-JYFnuuTGWc.jpg?width=1200)
圧倒的な美を兼ね備えた塩ラーメンは、写真を撮ることさえ忘れそうに。
ずるずると啜ると、コシの強い慣れ親しんだ中華麺が歯応えと共に旨みをじゅんわりと口いっぱいに広げる。
鶏ガラの旨みと甘みが優しく口いっぱいに広がり、塩のコク深さが波のように押し寄せる。
こりゃ沁みる。
とろっと半熟の煮卵は追加しない理由がないし、柔らかなチャーシューがさらに旨みをプラスする。
仕事終わりの醤油ラーメンも、味噌ラーメンも悪くない。
ただ、今は優しさというか、素材の味わいというか、複雑なものよりシンプルな味わいが滋味深く心に響くのだ。
それが深夜の塩ラーメンの役割なのだろう。
大人になったからなのだろうか。
この時間の塩ラーメンを贔屓する僕を許してほしい。
適材適所、それがラーメンにもあったなんて、
ラーメンは奥深い。
美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。
今日のお店:麺房勝や(栃木県那須塩原市下厚崎226-71豊藤ビル)
*Instagramでは暮らしにある食をすきなだけ発信しています*
暮らしのヒントになれば、と。
リンク→ https://www.instagram.com/kei_fooddiary/