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愛犬が教えてくれたこと① ~「幸せ」は継続的な感情ではない~

長年「うつ症状」と闘いながら生きているから、自分は「幸せ」感じるのが難しいんだと思っていた。

けれど最近になって「幸せ」が継続的な感情ではなく断続的な感情であると知った。これは私にとって目から鱗の情報だった。なぜなら、私はいつも「幸せになりたい」と思っているからだ。

「幸せになりたい」と思っているという事は、「幸せではない」と感じているという事でもある。では、本当に私は幸せではないのだろうか?そう自問自答するまでもなく、私は明確に理解していた。平凡な毎日の中に「小さな幸せ」と呼ばれる瞬間がいくつもある事を。

例えば、朝目覚めて愛犬のイビキを聞いた時、私は幸福感に包まれる。愛犬は3年以上、膵炎・腸炎・腎不全・心不全・肝炎を患っている高齢のチワワだ。いつ死んでしまってもおかしくないと獣医は言う。そんな愛犬が生きていると感じられる瞬間、私はとても嬉しくなる。

愛犬ジャスミン16歳

愛犬と散歩に出かける時、キラキラと光る木漏れ日を見て幸せな気持ちなる。澄み切った空気と青い空、愛犬がクンクンと小刻みに鼻を動かす姿を見て、私はまた幸せな気持ちになる。

そして「うつ症状」を少しでも改善しようと栄養バランスの良い食事を作ることを心がげているのだが、今日は旬の野菜や魚介類を使って美味しいお味噌汁を作ることが出来てとても満足している。このような瞬間にも私は幸せを感じる。

他愛もない事に私は幸せを感じ、それに感謝もしている。けれど感情は移り変わるものだ。24時間一定の感情を保ち続けることは不可能に近いのではないだろうか。

他人は皆とても幸せそうにしているように見える。「隣の芝生は青い」なんて言葉があるけれど実際のところはわからない。けれど私にはそう見える。しかも彼らは一日中幸せを感じ、その幸せを味わい尽くしているようにすら見える時がある。うらやましい気持ちになり、どうして私は彼らのように人生を生きることが出来ないのだろうかと嘆いてしまう事がる。

けれど幸せが断続的な感情だという事を知り、一見して24時間幸せそうに見えている彼らの人生にも「幸せ」の感情が途絶える瞬間があると分かった。そこで気がついた。私が求めていたのは継続的な幸福感だということ。そしてそれは存在しないという事。

ここで、この断続的な感情である幸せについて深掘りしてみよう。

幸せは一般的に、瞬間的な喜びや満足感として経験されることがある。しかし、幸せは継続的な感情ではなく、断続的な感情であると考えられることがある。これはいくつかの理由によるものだ。

  1. 感情の変化: 人間の感情は常に変化している。喜び、満足感、興奮などが日々の経験や出来事によって変動する。一つの状態が続くことは難しく、異なる感情が交互に訪れることがよくある。

  2. 慣れや適応: 人は新しい経験や状況に対してはじめは喜びや幸せを感じることがあるが、それに慣れると感じ方が変わることがある。この適応や慣れによって、最初は強く感じられていた幸福感が薄れることがある。

  3. 外部要因の影響:幸福感は外部の状況や出来事にも大きく影響される。環境の変化や人間関係、仕事の状況などが変わると、それに伴って感じる幸福感も変動する。

  4. 人生の周期性: 人生にはさまざまな周期が存在し、成功や喜びの瞬間がある一方で、困難や失敗の時期もある。これらの周期によって、幸福感も断続的に変動することがある。


したがって、「幸せは単なる一つの静的な状態ではなく、日常生活の中でさまざまな感情が交錯し、断続的に変動するものと考えられる。」


「うつ症状」が重い日や過度のストレスを感じる時、私は「白黒思考」に陥りやすい。白黒思考とは簡単に言うと極端な思考だ。

「もう死んでしまいたい!生まれて来たくなんかなかった!私の人生は何もいい事がない!」

ふと気づくと、そう文句を言う自分がいた。けれど次の瞬間、私は自分で自分にこう言い聞かせていた。

「君が望んでいるのは継続的な幸せだ。けれどそんなものは存在しない。君は今、ストレスを感じているね。それはそれでいいんだよ。死んでしまいたい!そう思うならそう感じたっていいんだ。感情は巡るもの。「幸せ」という感情もまた巡ってくる。だから無理に幸せを感じようとしたり、負の感情をかき消す必要はない。」

このように考えられるようになり少し気持ちが楽になった。幸せを継続的に感じられない自分を責めたり、負の感情を持ってしまう自分を嫌いになる必要はないと知ったからかもしれない。


Keilani



↑HSPでINFPの生きづらい日常を動画にしています。この動画は在宅ワークという働き方について。



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