見出し画像

<不登校>学校に行かせたいのは誰の為?

「学校に行かせたいのは誰の為?」

これは不登校の子どもをもつ友だちのママが
ブログの最後に綴っていた言葉。

これを読んだ時に、
行政関係の子育て相談員時代に
不登校のママの話を聴きながら、わたしも同じことを考えていたなぁと思い出した。

学校に行かせたいのは子どもの為ではなく
自分の為なのかということを。

でも、最初からここにたどり着くのは
少々きついものがある。

もし、不登校の相談をした相手から
第一発目に

「それはママが学校に行かせたいんですね」

と言われたら、反発しか出てこないだろう。

実際、そんな乱暴な相談員はいないけど。

プロセスが必要なんだ。

わたしはひとの相談を受けていて
答えが見えていても、あえて言わない、伝えない
ことがある。

それは自分から気づかないといけないもの
だと知っているから。

自分からの気づきでないと
受け入れることができないことがある。

だから、話を聴くという行為で
相手を見守るんだ。
時に必要な質問を問いかけながら。

大丈夫、きっとたどり着ける。
そう信じて。

じっくりじっくり自分と向き合う。

よく「子どもと向き合います!」とか
「子どもに向き合ってください」とか聞くけど
わたしはそれに超違和感がある。

だって向き合う相手が違うよね。
子どもと向き合ったら、子どもキツくないか?

自分に向き合うことは
簡単ではないこともわかってる。

悩んでる時の葛藤ほど苦しいものはない。

悩んでいる時って
感情の起伏がいちばんつらいんだ。

でも、苦しい気持ちと向き合いながら
自分と折り合いをつけ、
ゆっくり、ゆっくり
自分だけの答えにたどり着く。

ほんとはね、みんなすべて知っているの。
全知全能、

もうすべてのことを知っているの。

でも、この地球に来る時に
全部忘れてくる約束で生まれてきたから
忘れちゃっているんだよね。

だから自分の答えにたどり着いたときって
思い出した瞬間なんだ。

それは本当の自分と繋がった瞬間。

不登校だけじゃないよ。
子育てぜんぶ同じ。

「その悩みは誰ものですか?」

子どもと自分の悩みを分離させたとき
問題はなにひとつ解決されていないのに

まるで雲が晴れて清々しい青空が見えるように
気持ちがすっきりすることがある。

それは子どもをなんとかしようと
しなくていいことがわかるから。

自分以外のひとで悩んでいる時は
自分以外のひとをなんとかしようとしている時。

つまり
自分の思った通りになっていない時なんだ。

でもね、ひとは自分の思った通りにならない。

変えられるは自分が見ている世界だけというのが
この世の真実。

そういうことを知っておくとね、
子育てだけじゃなく、
すべての人間関係に悩まなくなる。

自分をなんとかしたらいいだけだから。

でも、自分というやつが
この世でいちばん厄介なものという
ことも知っている。

でも、この厄介な自分を攻略する方法も
ちゃんとあるんだよ。

それは自分を知ること。

自分は何がすきで
何をされることがきらいで
自分はどんな性格で
子どもの頃はどんな子で
子どもの頃、嫌だったことな何か?
逆に子どもの頃は何が好きで楽しかったのか?
親はどんな親だったのか
親はどんな風に自分を育ててくれたと
思っているのか

案外みんな忘れちゃっている。
ひと(子ども)のことばっかり考えて
いちばん大事な自分が知らないひと
になっちゃったんだ。

だから起こるできごとは
全部自分を知る為のもの。

自分を知る方法はたくさんあるけど
子育てしているママは子育てを通して
自分を知っていくんだな。

子育てしながら自分を攻略していくゲーム。
あー、それはゲームなんだと思ってみると
気持ちも幾分楽になる。
子育てはそんな見方もできるよね。

最後に
「学校に行かせたいのは誰の為?」
とブログに書いていた友達ママは
学校に行かなくてもよいんじゃないかという結論に至ったと書いてました。

みんなそれそれ答えがある。

周りがどう言おうと関係ない。
大事なことは自分で出した答えである
ことなのだ。


お知らせ
10月7日スタート!
「自分を知って本当の自分と繋がるライティングライフプロジェクト」
9月28日から募集開始です。リピータ―も大歓迎。
興味もある方はチェックしてみてね。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?