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古文をなぜ勉強するのかについて考えた

こんにちは。
先日、何故義務教育で古文を勉強せねばならんのか?というテーマの記事を読んだ。

確かに古文は直接的には何の足しにもならなさそう。

でも素人なりになんで必要なのか、考えてみた。
子どもに古文の勉強イヤー!って言われたときになんで必要か説明しないといけないですし。
あくまで一個人の考えなので、軽ーく読んでください。
不快に思われる方がおられたらすみません。


古文の勉強が必要な理由
①古文を読み解く能力が必要。
②教養のため


①について
自分が何者であるかを考えるときに於いて、自分の先祖は何者であったか知りたくなる。その時に古文の知識がないと読み解けない。

ちょっとぼやっとした理由だけども、大事だと思うんだな。
まー今時AIとかで現代語訳してくれたり、それこそ立派な学者が訳してくれたものがあるとは思う。
でもそれらが本当に正しいのか、また他に考える余地がないのか、と熟考するには、古文の知識が必要ではないか。

また、温故知新ということばがあるように、人間進歩していくには、古い考え方を知ること、歴史を知ることが大切だと思う。
その時に古文の知識があれば、原典から勉強できる。

まー、そんなん関係ないわ、と思う人もいるでしょう。
金儲けには何の影響もないわ。
そこまでしなくてもよいわという人もいるでしょう。

では②
教養としての古文。
学校で習うレベルの古文って、日本にいれば最低限知っておくべき教養ってことなのではないでしょうか。

この季節に、「あー、眠たいな、春眠暁を覚えずだね」
と言われて、
「なにそれ」と言われたら微妙じゃないですか。
漢文ですけど。

「春はあけぼの。」って言われて「曙って相撲取り?」って言われても困りませんか。
春はでっかいお相撲さん!ごっつあんです。
そんなシチュエーションないですかね。春場所?

例えば「どんぐりって茶色いよね?」って言って「どんぐりってなんですか?」と聞かれたら、世間知らずでびっくりしませんか?
どんぐりを知らなくても、暮らしてはいける。生きていける。
でも、どんぐりという言葉を知らないとなると一般常識がない、と思いませんか?

学校で習う古文て、どんぐりより高次の一般常識なんじゃないかな。

ただのたとえ話やのに、どんぐりって言い過ぎた。


おまけ(しょうもない下ネタが嫌いな人は見ないでください。)

オオイヌノフグリって春に咲くかわいい青いお花ご存じですか。
フグリって言葉、何か知ってます?

あれ、睾丸です。

つまりオオイヌノフグリは

大犬 の 金玉

あんな可憐な花なのに金玉。

ひょっとしたら、大きな 犬の金玉 かもしれない。
どちらが正しいかご存じの方がおられましたら、教えてください。

古文勉強していると、オオイヌノフグリのように、
現代でも使われている古語に出会います。
お花に金玉って名前つけてしまう昔の人ってなんか朗らかな感じするなあ。知らんけど。

ちなみに ほとって言葉は女性器を指す。
そう考えると「ほとばしる」ってめっちゃエロい言葉なんじゃないだろうか。
ほとばしるの語源は知らんけど、そんな推測をしてみたり。

面白くないですか?古文。

最後まで乱筆にお付き合いくださり、有難うございました。


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