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【美肌になる方法】私はちびくろサンボと傷ついた日。コンプレックスは時にとんでもないパワーをもたらし人を丸ごと変えることがある

今日はコンプレックスの話をしてみたいと思う。

私が人様に一番よく聞かれるのは生き方の話とかではないです。
そんなことはリアルでは聞かれないです(笑)
「白くて肌がツルツルだけどファンデーション何使ってるん?」
これです。

でも私は本当は極めつけの地黒です。
地黒は色素の問題なので改善できないのですが最大限白くすることは可能で、色白と間違われるレベルまで行くことは出来ます。

色白がよくて地黒がダメってわけじゃないことはわかってる。
だけど私は子どもの頃本当に群を抜いて、飛びぬけて恐ろしく黒かったんです。
私ほど黒い子を未だかつて見たことがない。

夏は普通に暮らしてても黒光りしててね、通りすがりのおばちゃんにびっくりされたりしてね。
あのおばちゃんの目、今でも忘れらんない。
まんまるに見開いた目で「プール行ったん?よ~う焼けてるねぇ…」って。
もちろんおばちゃんに悪気はないし、悪くない。
私本当はプール行ってなかったけど「うん」って言ってうつむいて走って帰った。

「お父さん違う国の人?」って言われたことあったし、男子には「インド~」とからかわれたりしたこともある。
傷ついたよ。だって私だけほんとにみんなと違うんだもん。
同じ人種と思えないほど、色が違った。マイノリティだったの。
日本人の肌の色にもグラデーションの幅があると思うけど、私はそのグラデーションの外にいる感じでした。
これはすんごいコンプレックスでした。
結果的にこのコンプレックスが大人になって私を美肌へと導いたのだけど、皮肉な話でもある。

昭和の時代は今とは全然違ってて、ちびくろサンボという絵本があってね。
黒人差別などの問題で今はもうないのかな。
その本を読んだときさ、私はちびくろサンボだって自分のこと思ったりしたよ。
だって夏は手のひらと手の甲の間がくっきり裏表つくほど、黒かったもん。

傷ついてたんだけど「なんとしても脱却する」という強烈な意志も発動しました。

結論から言うと美肌への道は「紫外線を浴びない」ということです。
カットする、じゃないですよ。
「浴びない」のです笑
な~んだそれかぁ~と、誰しもが聞いたことがある話ですが元サンボは動機が美容ではなくコンプレックスだったので気合が違いました。

私は中学までは諦めるしかないと悟っていました。
昔は今の様に品質の良い日焼け止めはありませんでした。
だから日焼けを防げなかった。
体育があるし部活もあるしで中学生まではこれはどうしようもないと割り切りました。

高校からは部活はやらないと心に決めていました。
運動部だと体育館でやる部活だとしても外で走り込んだりする練習もあるし、絶対にやらないって決めてた。
化粧水などをつけ始めた時、安価なものでもいいからとにかく美白のものにしました。
私は現在に至るまで美白ではない基礎化粧品を一度たりとも使ったことはありません。

昔は今みたいに若い子でも日傘をさす習慣がありませんでした。
日傘って言えばおばあちゃんのものだったんです。
でも、私はすでに高校卒業と同時にさし始めました。
まだ若者は誰もさしていない時代です。
おばあちゃんみたいな白のレースの折りたたみの、ババくさいやつ。
知るかそんなこと、背に腹は代えられへんのじゃい!という気持ちでした。

夏だ、海だ、って学生やら若い時はみんなで遊びに行きますよね。
ビーチサイドでみんなではしゃいで海入って。
その間も私は一人長袖着て日陰で見学しました。
絶対にみんなと一緒には入らないの。
「来なよ~」と言われるけど「焼けたくないから」と拒否。
じゃあ海に行くなよ、って話だけどBBQとかはしたいんだもん!
思い切って海入ったり日傘を手放すのは海外旅行や沖縄などのリゾートへ行った時だけです。

日常生活では冬でももちろんSPF50+++のUVが化粧下地。
初夏から秋までは日傘・サングラス・長手袋・帽子の全部盛り。
今は春から夏場は飲む日焼け止めも飲んでいます。
内服は効くか知らんけど出来ることはやっているのです。
車を運転するときは真夏でなくても手袋をしてますし、フェイスガードも持忘れずに。
私の装備は紫外線カット率100%で高価なものでもあります、これは高いです。
そこはお金かけてる。

どんな短距離だって日傘をさします。
例えば車でスーパー行って、駐車場から入口までの間でもです。
ドラム式に変える前、まだ洗濯ものを外へ干していた時代は洗濯物は中で全部セットして外へ出る時間は徹底的に短くします。
干す時も長袖を絶対羽織って帽子をかぶります。

家の中にいても紫外線は入るので、すべての窓に紫外線カットフィルムを貼り付けてあります。
子どもが生まれるまでは夫と二人でも車は助手席には乗りませんでした。
後部座席で日が照るたびに位置を変えて右へ左へ移動して陰に入ります。

日傘に手袋や帽子をかぶっていても常に絶対的に日陰を歩きます。
何も持っていないときひなたはダッシュだし、自分のバッグで顔を隠して日陰を作って走ってる時もあります。

子どもたちを海につれて行ったりするときもとんでもない重装備なのできっと「そこまでするなら来るなよ」と思われているときもあるかもしれません。
でもそれは自分をちびくろサンボだと思ったことがない人の考えなんだよ。
「ちょっとぐらい日焼けしてもいいやん」というのはそこにコンプレックスを感じたことがない人の意見で、日本人にはそう多くないのだと思います。

私が日焼けをしたくないために子どもの楽しみを減らすことはしたくないから、どこへだって連れて行く。
だから私はなんと思われても構いません。
背に腹は変えられないのです。
私はシミ予防とかアンチエイジング目的などの動機で紫外線対策をしてきたわけではなく死ぬ気でコンプレックスの克服をやっていたわけだけど、それは人様から見るとわからないわけですから理解してもらうのは無理だと承知しています。

怪訝に思われても笑われてもかまわない。
私は絶対このコンプレックスを解消する。
そういう感じでした。

そして時は過ぎ。
30代半ばを超えたころからすごい言われるようになった。
「肌がきれいだね!?何してる?」と。
私は肌をきれいにするつもりは全然なくて、自分をちびくろサンボと思って傷つくのが二度と嫌だっただけなので「え?」という感じで。

というか紫外線を浴びないことが美肌を保つということを昔は知らなかった。
若いころは何もしないでも肌がきれいだから、肌について調べたこともなかったからです。
だから結果的に年齢が上がったときにそうなっただけだったんです。

私がやってきたことを読むと「ようやるわ~」と呆れた方もみえるでしょう。
でも私は本当に傷ついてたからさ、呆れられようともという感じでした。
それでもこれだけやっても普通肌の人が夏にマックス焼けてる時より手の甲とかは黒いと思います。
顔と首は鉄壁の死守だから白いけど、手は守り切れないんです。

一部「やってきた」と過去形になっている部分があるのですが。
子どもが生まれてから私の紫外線対策はもう少し緩和されました。
子育てが優先なので昔ほどはできないんです。
特に二人が乳幼児のころは手を繋いだり目を離せないから私がいちいち日傘をさし続けたり日陰にい続けることは不可能だからです。
だからあれですね、子どものためなら緩和も行けるって感じで。

あとはですね、いつからか昔の面影がないほどに白くなったので強烈だったコンプレックスが解消されたことも緩和の要因です。
もう十分かなと思えるところまで来たので、まあこんなもんでいっかという気持ちの余裕がいつからかできた。

マックス白かったときは子どもが生まれる前でそれに満足していたけど、弊害もあります。
紫外線は浴びなさすぎるとビタミンDが不足して自律神経に影響がでたりするし、セロトニンの分泌量が減るので精神的にはやりすぎは悪影響です。

私は知らないでコンプレックスと戦争しちゃってましたんで、知った後は「うおお、紫外線対策のやりすぎも生きづらさに拍車掛けたな!」と思いました(笑)
それも緩和の要因にもなりましたね。

などなどで今は昔に比べるとずっと日光を浴びるようになりました。

というわけで。
美肌になるには紫外線対策がやはり有効だと思います。
知らないで何十年もやり続けた結果、中年になってそれが判明しました。
私ほどやる必要はもちろんないのだけど、やっぱりそれは本当だとは言えます。

大人になってから私を知った人は私が本当は地黒だと思う人は多分一人もいないと思います。
白いとしか言われなくなったからです。
この記事に証拠写真として小学生の時の写真を載せたかったんだけど、本当に当時の夏の黒さが写ってるやつは見たくなくてすべて処分してしまってて一枚もななかったです。

そんな感じで。
強いコンプレックスは時に大きなパワーを生んで人をまるごとかえるほどの力になってくれることがあります。
自分のコンプレックスを克服するのは簡単に思えないときもあるけど、原動力として使えばそれは強力なエンジンとなってくれることもあるよという体験談でした。

押しつぶされるのではなく使ってやろうぜ!




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