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Keiko Yoshida
2022年8月7日 21:26
菊と15歳も離れていた文龍。菊が65歳のときに80歳になっていた。パチンコ屋も大手が牛耳るようになって赤字が積もり、土地の名義だけ残して、人に貸していた。文龍も年老いて、少し痴呆の症状も出てきた。日本語で喋っていたのに、興奮してくると、台湾語になっていたりした。急に暴れたりもするようになってきた。まだまだ若々しく、龍園をバリバリ切り盛りしていた菊は、自分ばかり働かされているとい
2022年8月7日 21:08
愛媛で菊と出逢い、高知で事業を始めた文龍。賭博から始めたが、商才に長けていた。どうやればお金が増やせるか?友達とのネットワークから情報を得て、着実に土地を購入していった。菊は「お金ができたらすぐ土地になってしまう」と不満をもらしていたが、文龍の読みは的確で、日本のインフレに従って、土地の値段はどんどん増えていき、それを売るだけで、次の 事業の元金をつくることができた。文龍は、小学
2022年8月7日 16:50
「高知に仲間がいる」「新しい事業を考えている」松山で肩身の狭い思いをしているところに、こんな言葉をかけられ、高知にも帰れることもあって、菊は少し期待の気持ちを持った。文龍が日本に帰化していなかったため、入籍できなかったものの、一緒に居れば、きっとよい生活ができると信じていた。二人の住まいの財産といえば、机一つだけだった。頼りにしていた「仲間」も台湾語で喋り、本当にこれでよかったのかなと
2022年8月7日 14:26
姉さん(信子おばちゃん)はほんまに美人でねえ、けんど、美人って大変で、それを保つのにいっつも顔いじりよったわ。あたしらー、なんちゃーせんかったけんどねえ。姉さんが好きな人ができてねえ。こうちゃん(私の従兄)のお父さんよ。ほんで、お母さんが「見てこい」ゆうきよねえ。わたしも小さいからようわからんし「はいはい!」ゆうて、友達つれて、後をつけていったわ。.友達は「男前や」ゆうたけ
2022年8月7日 13:58
「みーちゃんは,同い年の友達でねえ。 小学校ばあしか出ちょらんきよ、字ぃも読めんで、わたしがずーっとおしえちゃりよったりしたがよ。 それで、みーちゃんは私のことが好きで好きでねえ。うんと、ようしてくれたがよ。」(母談)当時、公立の女学校は、全国的に10校程度しかなく、四国では高知県に存在していた。菊が通ったのは、高知県立高知高等女学校で、 現在の高知丸の内高等学校である。貧しいながらも、
2022年8月6日 22:06
昭和六年(西暦1931年)生まれ。太平洋戦争、南海地震、愛媛への出稼ぎを経て、15歳年上の台湾人と結婚し、机一つから商売 を始め、貪欲に店を切り盛りし、昭和、平成、令和と駆け抜けた母、菊(仮名)の生涯を綴っておきます。高知城の西側、井口町の近く、江の口川支流の近く、長男一男(仮名)、次男努(仮名)、長女信子(仮名)、それに弟(幸雄)との5人兄弟姉妹、それに、少し病弱な母、初子(仮名)と
2022年8月6日 19:52
台湾人の父と、日本人の母の記憶を綴りたいと思います。母の語り、私の経験したこと、など。台湾に家庭を持っていた父が最後に日本から台湾に逃げた時、日本に残された娘達はどこを頼ればよかったか?渉外交渉のできる行政書士さんに助けて頂いた経験についても、今後綴っていきたいと思います。