普通が1番難しい
「私みたいな普通の人間は当たり前に出来るんだけど‥」
この言葉を聞いて
この人は自分本位で自分優位で
相手のことがわかりたいと言う気持ちはなくて、自尊心が揺らいでしまうから相手をコントロールしたいんだろうな
仕事の人間関係をただの手段でしかないと思ってる
私は普通や当たり前を目指して日々一生懸命生きてます
15才の時から
○眠れない
○起きたら夜だった
人生の中で入院生活が多く、自宅療養も長く、脊髄損傷になってからは生きることがリハビリです。
幾度も書いてますが
起きたら
○ベッドの中でストレッチとヨガ20分週5〜6
○ゴミ出しついでに白湯
○体重測定(毎日)
そかこからようやくスタートなのですが、その起きる前にトイレ行ってからラジオ時間が始まるのです。
布団の中でグズグズしながらラジオを聴いてる穏やかな時間が好きなのです。
老眼ではないのですが、元々疲れやすい体質なため、10年前の入院生活以来根を詰めて本を読むことをほとんどしなくなりました。(実用書は切り貼りして読んでます)
インプットを耳でするようにしました。
この私の耳もインプットが遅すぎて、何度もICレコーダーを多様しているうちにいつの間にか治ってしまったのです。
布団の中で、あーだこーだ考えて紙のノートにあれこれやらなきゃいけないことを書いて、起きる頃には酷いことに5時を過ぎてることがザラです。
でも
前日の朝方に洗濯物干しを終わらせているので、普通に家事をして5冊ほど並行して書いている手帳やノートにアウトプットして、きちんと2食食べながらの掃除をして、深夜にテレビをやっと付けての繰り返し
これが出来てからの、お出かけや友人知人との交流です。
プライベートの生活って見えないし、わざわざ友人のでも知りたくないのは当然で(相手の生活があるから)
でも
そんな生活が許されるのは、家族も親友知人も私自身をよく知っているからで、それが前提で普通に扱ってくれるから私自身に負担があまりないのです
「もっと働ける世の中に‥」
この言葉も何だかわかりませんでした。
もっと働きたいと思っている人が多いような言葉だったからです
もっと働きたいって
掛け持ちするってことなのかな‥
多分そういう意味じゃないんだろうけど、馬車馬のように働きたいように聞こえました。
正直この言葉は誰に対して言っているのかがわからない
私は女性であることに困ったことがほぼありません
女性だったからか得したことの方が多かったかもしれません
学校生活でも社会に出てからも女性差別のようなことを受けたことが全くなかったからです
性別違和のようなことも自分自身の中でなかったので、そこの葛藤からも外れてますが、これはない方が勿論生きやすい
生きづらさと言うものを、あんまり感じて来なかったのです
私の中での生きづらさは私自身の問題で、身体が頭に追い付かないのを15才の頃から、「いつか治るんだろうな、いつか元に戻れるんだろうな」これなんです
中学生に入るまでの生活が充実し過ぎていたのです。
身体が追い付かないって、身体が大人になってしまっただけなのです
よく考えたら
筋肉痛になったことが、ない
運動で困ったことがない
※長距離マラソンだけは苦手
冒頭の普通って
○大学を出て
○就職して
○結婚して
○子供が出来て
の前提の順調からの自分の仕事が出来ている人の言葉だったのです
そう
女性が女性を蔑視するからこういう事が起こるのです
選挙に行って女性が女性に入れたくないと言うのが、世の中の風潮を現しているのです
何を書きたかったのか…ズレてしまいましたが
本当の自分のことを言っても相手が引かない人間関係づくりが大切なのと、それが出来る人はあんまりいないし、ある程度大人になったら許容範囲は拡がるものです
そこが狭くなってしまったり、心の成長が出来なかったりすることが生きづらさに通じてしまう訳です
わざわざケンカした人と仲直りしなくても、そもそもケンカにならない人間関係の中にいることは、自分を押し殺している訳ではなく、ある程度気を使っているので健全なのです
ほどほど
ちょうどいい
良い調子
かな