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福沢諭吉『徳育如何』②~若者の不遜軽躁の原因は明治維新による社会の気風

こんにちは
前回のパートで教育の根本は先祖遺伝の能力、育った家風と、社会の公議世論であり、教育において学校教育よりも公議世論の影響の方が大きいことを福沢は論じていました。

今回のパートでは若者が不遜軽躁になった理由を学校教育ではなく、当時の公議世論であると主張しています。福沢がどのように明治維新を見ていたのかをうかがい知れるという点も面白店の1つです。

要約

 世の教育論者は、若者が不遜軽躁になったのは学校教育が徳育をおろそかにしたことが原因であり、儒教を道徳教育に用いるべきだと主張している。
しかし、学校教育は近因であり、根本の原因は開国に次ぐ政府の革命(明治維新)によって形成された公議世論である。開国により世の中は開進に進み、明治維新によってそれまでの身分秩序は破壊されて能力主義の世の中になった。

 それにより旧来の道徳から見て好ましくないことも起きているが、その原因は日本人が教育を怠ったのではなく、ただ開進の風に吹かれて世論の様相が改まったからである。若者のその不遜軽躁は天下の大教場たる公議世論によって教えられたものであるであるから、社会の一部分でしかない学校教育で儒教を教えたところで効果はない。

 もとより私は若者が不遜軽躁であることを良しとする者ではないが、開進の世において江戸時代のような道徳に戻すことは出来ない。公議輿論に従ってこれを導き正すべきだというのが私の主張である。

現代語訳

 近年、世に教育論者がいる。彼ら曰く、「近年日本の子弟は品行がしだいに軽薄になり、父や兄の言うことを守らず、長老の戒めを省みず、ひどいものにいたっては若輩者であるのに国家の政治を論じ、ともすれ目上の者を攻撃する気風があるようだ。結局のところ、学校の教育が不完全で徳育を忘れた罪である。」といって、もっぱら道徳を奨励する手段として儒教の道を説き、中国の聖人の教えを徳育(道徳教育)の根本に立てて、全ての人々の活動を制御しようとするようなものだ。

 私は論者の意見を聞いて、その憂いているところは非常にもっともであるとは思うが、この憂いを解決する手段にいたっては少しも感服することができない。そもそも論者が憂いていることをまとめれば、今の子弟は目上の者を敬わず不遜であり、みだりに政治を論じて軽躁であるというに過ぎない。若者たちがここまで不遜軽躁になったのは、たんに学校教育の欠点によるものだろうか、その原因を探究することが大切である。

 教育の欠点と言えば、教師の不徳と教科書が不経(道理にあわない)であろう。それなのに日本において、世界が始まって以来まれである不徳の教師を輩出し、不経の書を流行させたのは何者であるか。あるいは前年、文部省が定めた学生によってそうなったとでも言うのであろうか、そうであるならば文部省にそのような学制を定めさせたものは何か?これを探究しなければならない。私の所見においては、この原因を文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教科書の不経も咎めない。これらは皆、近因であり、この近因を生じた根本の大原因に遡らなければ、得失を判断するには不十分であると信じている。ではその原因とは何か。開国に次ぐ政府の革命(明治維新)こそが原因である。

 開国以来、日本人は西洋諸国の学問を学び、またはこれを聞き伝えて、ようやく自主独立が何たるかを知ったが、未だこれを実施することを出来ていない。またそれが実際に行われていることを目撃したこともなく、15年前に維新の革命があった。この革命派諸藩士族の手によるもので、その士族は数百年来儒教のによって育てられ、満身ただ忠孝の二字あるのみで、一身をもって藩主に仕え、君主のために死ぬほか心に無かった者が、ひとたび開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒して新政府を建てた際に、最初はそれぞれ藩主の名をもって政府を建てたが、事がなった後には、藩主は革命の名利を得ることが出来ず、名誉や給与は藩士族のものとなり、ついで廃藩がいっせいに行われ、藩主は得るものがないのみならず、かえって昔からの物を失い、落ちぶれた人のようななものだ。

 かつては藩で同じ藩士の中でも末座に座り、君主には容易には会うことも出来ない小家来が、突然の機会に乗じて新政府に出仕すれば、厳然たる正何位・従何位になり、旧君主と同じく政府に仕えるだけでなく、君主が「従」で家来は「正」でかえって君主の方が低い位の場合もある。さらには公には旧君主の名のもと旧家来の指令を求め、私的に旧家来の家に参上して依頼することもあるだろう。

 また、四民同権の世の中に変わった以上も、農商もかつての素町人・土百姓ではなく、藩の士族を恐れないだけでなく、時としては旧領主を相手取って訴えを起こし、場合によっては旧殿様の家を破産させる奇談もめずらしくない。かつては馬に乗れば切り捨てられた百姓町人の若者たちが、現在馬を借りて乗って飛び回り、誤って旧藩の士族を踏み殺しても法律においてはただ罰金の判決があるのみであろう。

 また、世襲の家禄の世において、家の次男三男に生まれた者は、他に立身の道がない。あるいは他に不幸にして男児がない家があれば、養子の要望を待ってその家を相続して初めて一家の主人となれる。次・三男の立身の血路は、ただ吉になるのみだが、男児がいない家は少なく、次・三男の出生数は多く、需要と供給のバランスが保てず、つねに父兄の家に養われ、ついには次の代の甥の保護を受けて死ぬ者も少なくない。これを家の厄介という。俗にいわゆるすねかじり者である。すでに一家の厄介であり、誰がこれを尊敬しようか。どのような才能や能力があっても、すねかじりはすねかじりで、ほとんど人に相手にされない。

 家禄を受け取っている武家にしてこのようであるならば、その気風はおのずと他の身分にも波及し、士農工商ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男が持ち、長幼の序も乱れていないように見えていたものが、近年にいたってはいわゆる「腕前の世」となり、才能と能力さえあれば立身出世は勝手次第で、長兄が愚かで貧乏ならば頭が良く裕福な弟に馬鹿にされざるを得ない。ただ兄の実だけでなく、かつての養子が政府や民間で出世し、美人な芸者を得れば、たちまち養子先の家のぱっとしない妻を嫌がり、養父母に相談して自身を離縁または放逐させろと要求するのは、名目上は養子先の家から放逐されているが、実態は養子が養父母を放逐したものというべきである。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序」とは聖人の教えで、周公や孔子が貴い理由だが、私は前述の事実に、この聖人の教えが行われているところを、見つけることは出来ない。

 そうとはいえども、今まだ枚挙したことは15年来実際に行われ、現在の法律において許され、現在の慣習においても大々的にこれを咎めることはできない。昔ながらの徳教の視点からこの有様を見れば、まことに驚きだろう。元禄時代の士人を生まれ返らせて、明治維新以来の実際の状況を語り、また、現在の世の中の有様を目撃させたならば、必ず大いに驚嘆して、人倫の道が断絶した暗黒世界であるとして、心を痛めるだろうといえども、いかんせん、この世上の変化は15年以来、日本人が教育を怠ったのが原因ではない。ただ開進の風に吹かれて世論の様相が改まったからである。思うに世論の様相とは、全国の人に関する事の全様相で、学校教育のごときもこの全様相の一部分であるにすぎない

 そうであるならば今の世の教育論者が、今の不遜軽躁な世の有様に反応してこれを憂うのは全く問題ない。また、これに驚くのも至極当然のことだが、論者はこれを憂い、驚いて、これを古(いにしえ)に戻したいのか。すなわち元禄時代の士人の価値観と同じにして、元禄の忠孝世界に復古しようと願うのか。論者がしきりに近年の著書・新聞紙等の説を嫌って、もっぱら唐虞三代(堯・舜と夏・殷・周の三代)の古典を勧めるのは、はたしてこの古典の力によって現在の新説を抹殺することができると信じているのか。それのみならず論者が、今の世情が一時、自分の意にそぐわず一部分に不都合なことを見つけ、その罪をただ学校の教育にせいにしてしきりにはやし立てるのは、はたしてその教育によって世情を戻すことができると信じているのか。私はその手段に感服することはできない。

 そもそも明治年間は元禄時代とは異なる。その違いは教育法の違いではない。公議世論が異なるもので、もしも教育法に違いがあるならば、この違いを生み出したのは公議世論であると言わざるを得ない。そして明治年間の公議輿論は何によって生まれたかと尋ねれば、30年前の開国とそれに次ぐ政府の革命であると答えざるをえない。開国革命によって現在の公議輿論が生まれ、人心は開進の一方に向かい、その進行の際に悪い風習もまたともに生まれて、徳教が薄くなっているのを見ないことはないが、法律はこれを許し、習慣もこれを咎めない。

 ひどい場合には道徳教育論をしきりに説くその本人が、しばしば開進の風潮に乗じて、利益を求め、名声をむさぼり、犯すべからざる不品行を犯し、耐えることが出来ない冷酷さを耐え、古代の規範によって正そうとするときは、父子君臣・夫婦長幼の大倫も輝きを失ってしまう危険があるにもかかわらず、なおかつ一世を風靡して得意げにはびこるほど有力な開進風潮の中にいながら、学校教育の一部を変革して、現在の世情を変えようと欲するのは、肥料のみを加減して草木の生育を自在にしようとする者に異ならない。 
 教育も他の人々に関する事柄とともに歩をともにして進退するときは、非常に有効な手段であるといえるが、その効果が表れるのは極めて遅く、肥料のようにはいかない。ますます教育がすぐには役に立たないのを見るだけである。
 
 そうであるならば今の世の子弟が不遜軽躁であることがあれば、その不遜軽躁は天下の大教場たる公議世論によって教えられたものであるので、この教場の組織を変革するのでなければ、その弊害を矯正することはできない。そしてその変革に着手しようとするも、今日の勢いにおいて、昔に戻ることはできるだろうか。今の法律を改めて昔の形式に戻せるだろうか。平民の乗馬を傷べきだろうか。次三男の自主独行を止めさせるべきか。

 要するに開進の今日において封建世禄の古い制度に戻そうとするのは高い木から深い谷に飛び移ろうとするもので、どんな力を用いようとも到底実現可能なことではない。目下その手段を求めても手に入らないものである。教育論者と言えども自ずと分かるだろう。すでに大教場の変革に手段が無いことを知れば、その一部の学校を変革することも無益であることは明らかである。ゆえに、私は今の世情に満足する者ではなく、若者が不遜軽躁であるのを見て、称賛する者ではないが、その一部について直接改良を求めず、天下の公議輿論に従ってこれを導き、自然にその行くところに行かせ、その止まるところに止まらしめ、流れに従って水を治めるように公議世論に従って正していくことを欲する者である。
 

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