福沢諭吉『徳育如何』③~自主独立の世論に合わせた道徳教育をすべし
こんにちは
以下の記事と合わせてこちらの記事で『徳育如何』全訳完成になります!!
前回のパートでは福沢は若者の不遜軽躁の原因は明治維新によってもたらされた社会の気風(公議世論)にあると説きました。
今回のパートではまず若者の不遜軽躁を幕末・明治維新を経験した世代が責めることが出来るのかと疑問を投げかけ、直接それを責めることの無意味さを福沢は指摘します。
そのうえで、どのような道徳の教えも公議世論の制約を受けることを、同じ儒教が学ばれた中国と日本の主君への仕え方の違いの例にして説いています。そして、現在の公議世論は開進に進み自主独立を理念とすべきことを説いて、その範囲で儒教を道徳教育に用いることを説いています。
要約
例えば、今試しに世の有力者が子弟の不遜軽躁を咎めても、幕末から明治初年の自身の言動を指摘されて反論できずに困ってしまうだろう。若者を直接けん責しても大きな効果はなく、むしろ刺激してしまうだろう。
前節で、公議輿論に従った教育改良の意見を述べたが、漠然としていたので
儒教といえどもあくまで公議輿論のの範囲内でしか効果を生み出さない。その証拠に、中国と日本の違いを見よ。両国とも儒教が盛んであったが、中国では多くの君主に仕えることが良しとされ、日本では中心二君に仕えずが美徳される。公議世論が徳教を制する例である。
開国から明治にかけて、天下の風潮は、すでに開進の方向を向いて、自主独立の世論は変えることが出来ない。自主独立の理念において大切なのは個人の独立と尊重である。そして個人の独立は国家の独立を図ることへとつながる。
現在の徳教は、世論に従って自主独立の理念に変化すべき時節である。私は儒教の経典を道徳教育において用いることを非難するわけではないが、それを自主独立の教えに沿う形で用いていくべきである。社会が開進に向かっている以上それに従って教育を改良していくことこそが解決策である。
現代語訳
今試しに社会で活躍する有力者に子弟をいましめて、お前は不遜である、どうして私に従わないのか、どうして尊敬すべきものを尊敬しないのか、近年の新説(民権論)を説いてみだりに政治を論ずるのは非常に軽躁であると咎めたならば、若者はこういうだろう、
「あなたはかつてどうして廃藩に賛成して旧主君が地位を失うのを傍観したのか?それのみならず旧主君とともに社会に立ち、あるいはその上の立場で世の尊敬を受けるのを全くはばかる様子がないのはどうしてか?
かつ、あなたに質問することがある。あなたが維新の前後にしきりに国事に奔走して政談に熱中したのは、いつぐらいの年齢の時か?今あなたが私に忠告するように、当時、世間があなたの軽躁を喜ばず、あなたに忠告する者はいなかったのか?当時、あなたはその忠告を受け入れたのか?我々は心の中で、あなたは決してこのような忠告を聴く者ではない。その忠告者を内心軽蔑し、頑固な人だとしてただ冷笑していただけだろう。
そうであるならば我々はまだ年少であるといえども、20年前のあなたの年齢とおなじくらいだ。我々の言動が軽躁であるとしても、20年前のあなたに比べれば、深くけん責される道理はない。ただし、あなたは幕末の混乱に身を置き、維新の初めにおける創業に臨んだ時のことであるから、おのずから現在の我々とは異なる。我々は今日、治世にあって乱は願わず、創業の後を受けてそれを守り受け継ごうとする者である。時勢が異なり、状況が同じではないといえども、熱心の度合いはかつてのあなたと異ならない。思うに我々のこの熱は我々自身のみから出たものではなく、実際ははあなたの余熱を感じて伝染したものであるといえる
などと、利口に述べ立てたならば有力者も容易にはこれに答えることが出来ず、またはひそかに困り果ててしまうだろう。
その有様は老人が若者に直接放蕩を注意して、かえって若者から自分の昔の品行を指摘されて、頭から汗を流して赤面するのと同じである。直接のけん責は個人間でも効果を見ることは少ない。天下億万の後進の者に向かって責めるのはいうまでもない。労して功がないのみなならず、かえってこれを刺激してしまうことになるだろう。
私は前節で教育改良の意見を述べ、その主とするところは、天下の公議輿論にしたがって導き、自然に行くところに行かせ、止まるところでとまらせ、流れに従って水を治めるように公議世論に沿って正していくことを欲する者であると記したが、少し漠然としているため、今ここで1つ2つ事実を証明してその意図を明らかにしよう。元来、私の目から儒教の教えを見れば、この教えによて人心が動かされることは少なくないとはいえども、その働きは無限のものではなく、限界に達すれば少しもそれを発揮できない。すなわち、その限界点は、この教えに従う国民の公議輿論に適する部分に限って働きを発揮し、それ以上においては世論によって制されることが常である。
たとえば中国と日本の習慣は異なるものが多い。中でも、周の時代と日本の徳川幕府の時代は、どちらも封建制ではあるが、その士人の進退についてみると、中国では「道」が行われなければ去るといってその去就は非常に容易である。孔子は十二君に仕えたといわれ、孟子が斉の宣王に用いられず、梁の恵王に仕えたのも、複数の君主に仕えることが容易である例である。蘧伯玉も自国を重んじる思いは非常に薄いようだが、それを非難されたことはないのみならず、かえって孔子に尊敬されていた。これに反して日本においては士人の進退については非常に厳しい。「忠君二君に仕えず、貞婦両夫に見えず」という教えは、ほぼ庶民の社会にまで通用する教えであり、特別の理由が無ければこの教えに背くことは許されない。日中両国の気風、すなわち両国の公議世論が異なり、非常にかけ離れていることが分かるだろう。
そこでその国の人々がもっとも尊崇する徳教は何かと聞けば、中国人も日本人も聖人の書を読んで忠孝の教えを重んじている。同一の徳教に従ってその道徳教育を受ける者が、実際においては全く正反対の様相を見せる。不思議ではないだろうか。結局のところ、徳教の働きはその国の世論の妨げを受けない限界まで達したら、それ以上に発揮されない実証である。もしこの限界を超える時は、徳教の趣旨を変えて世論に適合させ、その意味を裏表逆に解釈し、あたかも世論に差し支えないように姿を装ってやっとその役割を果たすことが出来るだろう。蛮夷が中国を乱すことは聖人が憂いてことだが、その聖人国(中国)を蛮夷によって奪われたのが現在の清国であるが、清国もまた聖人の書を教えとしている。徳川幕府も忠義の道をもって、天皇に仕え、実際に忠義であったが、幕末に公議世論によって幕府を倒せば、倒した者もまた実に天皇に忠義である。まとめると、中国で士人の進退を自由にすれば聖人と称されるが、日本で同様の事を行えば聖人の教えに背くとして批判されるだろう。
蛮夷が中華を乱しても聖人の道でこれを防ぐべきだ。すでに蛮夷が中華を乱し奪い取ったならば、聖人の道によって中華を守るべきだ。敵のためでも味方のためでもよい。聖人の道が発揮される部分の中で自由に働きを強くさせ、世論に合わせて装いを変えていくべきだ。これがすなわち聖教の聖教たるゆえんで、愚かな儒者は理解できないところである。(孟子に放伐論(易姓革命論)があるためこれを嫌うのも愚かな儒者の考えで、笑いに堪えない。数百年間日本人が孟子を読んで、これに従って君主に背こうと思った者があることを聞かない。書中の一字一句が人心を左右するものであるとすれば、君臣の関係が義理堅い日本において多くの君主に仕えた孔子の書を読むのは不適当であろう。小人物の儒論など取るに足らない。)
我が日本の開国につぐ政府の革命以来、全国人民の気風は開進の方向へと向き、その進行の勢いはこれを止めようとしても止められない。すなわち公議世論が一変したのだから、これにより徳教の働きがもとより消滅するわけではないが、自ずから世論に適合するために大きくその装いを改めなければならない時節である。たとえば、昔は君臣の団結が国中三百か所に分かれていたものが、今は一団の君臣となったので忠義のあり方も少し趣を変え、古風の忠は現在は適さない。
かつては三百藩以外に国があることを知らず、ただ藩と藩との間で藩権を争っていたのが、今日は全国があたかも一大藩の姿となってかつての藩権の精神は、面目を改めて国権論に変化せざるを得ない。かつては社会の秩序は相依る風俗で君臣・父子・夫婦・長幼・たがいに相依り相依られ、たがいに敬愛し敬愛され、両者が相対した後に教えを立てたが、今日自主独立の教えにおいては、まず我が一身を独立させ、我が一身を重んじて、自らの身を宝とし、それをもとに他の関係を維持して人間関係の秩序を保つべきである。
「新たなに髪を洗った者は埃をはらうために冠をはたき、新たに湯あみをした者は同じく着物をふるう」(屈原『漁夫辞』からの言葉)とは自身を大切にするという意味である。わが身は金玉(財宝)であるがゆえに、かりにも傷をつけるべきでなく、汚いものに近づくべきではない。金玉である身で、醜い行いはすべきではない。卑屈になってもいけない。芸者の美は愛すべし、妻の老いを嫌うといえども、昔から支えてくれた妻を家から頬りだすのは、金玉の身には似合わない。長兄が愚かで自分は金持ちであるといえども、弟が兄を侮辱するのは、金玉の身ですべきではない。自分の志を曲げて権勢に走れば、名声と利益を得られるだろうが、節を屈して金玉の身を汚すべきでない。天下の富を与えられても、将軍や大臣の地位を授けられても自身の金玉を一点の傷とも替えてはならない。ここまで心が至れば、天下も小さく、王公も賎しく見える。自分の身以外に執着せず、ただ金玉の一身があるのみである。一身すでに独立すれば、他に目を向けて他人の独立を勧め、ついには同国人とともに一国の独立を図るのが自然の順序であるので、自主独立の一義のみで、君主に仕え、父母に仕え、夫婦の道をまっとうし、長幼の序を守り、朋友の信頼を固くし、日々の日常の細かいことから天下の大計にいたるまで、一切の秩序を網羅するだろう。
ゆえに私は、現在の教育論者が儒教の経典を徳育のために用いようとすることを咎めるわけではないが、その儒教の経典の働きを自然に任せて正しく現在の公議世論に適合させて、その働きが及ぶべき部分にのみ働かせようと願う者である。すなわち今日の徳教は、世論に従って自主独立の理念に変化すべき時節であるので、儒教の教えもまた自主独立論の中に包羅してこれを利用しようと願うのみである。
今の世情が不遜軽躁の状況を出来ないのは、自主独立の精神に乏しいからである。教育論者のその人自身の徳義が薄く、その言論演説が人を感動させないのは、論者自らが自主独立の精神を知らないのが原因である。天下の風潮は、すでに開進の方向を向いて、自主独立の世論は変えることが出来ない。すでにそれを変えられないことを理解したならば、これに従うことこそ智者の策である。思うに、学校の教育を正すことを水の流れに従って治水するようにするとはこのような意味である。