社会人を経て助産師になった〜看護学校時代〜
無事看護学校の入学が決まった。
たまたま社会人を経て来た人も多く、違和感なく過ごせた。
子どもはその当時2歳。
保育園に入っていたので、帰ってからは子どもの前で勉強はしない、とだけ決めていた。
なので子どもが寝ている時間に勉強。
勉強自体は苦ではなかった。
テスト前なんか、寝落ちして焦った時もあったけど、一年半くらいすると要領も掴めて、成績も一番に。
きつかったのは、看護学生あるあるだと思うが、実習。
コロナもなかったから、最後の一年間は、みっちりほぼ実習のみ。
実習の記録と、行動計画と、病棟のピリピリ感。
(有名な大学病院だったので)
たまに優しい指導者さんもいたけれど、恥ずかしながら泣いたこともあった。
実習の期間は本当に憂鬱で、あと何日で終わる、と毎朝自分に言い聞かせて病棟へ。
私はもともと助産師になりたかったから、もあったのかもしれない。
母性の実習や、助産師学校の実習は、辛かったけれど、楽しい気持ちの方が強かったから。
終わってみれば、いい経験ができた、と思っている。
関わってくれた患者さん、指導者さん、先生方は今でも皆覚えている。
子どもの風邪や病気で休んだり、早退することも多く、決して優等生ではなかった。
でも病児保育や家族にお願いしたことも多かった。
今となっては、子どもに対し、本当にごめんね、と思う。
もっと休んで一緒にいてあげても大丈夫だった。
そんな看護学校時代だったが、最後は首席で卒業。
最後に先生が、『あなたを誇りに思う』とおっしゃってくださって、理事長賞に選ばれた時は本当に嬉しかった。
そのまま大学病院に就職できたのだが、すぐに助産師になりたかったので、助産師学校を受けた。
助産師学校の実習は比でないと聞いていたので、実家近くに引越しをした。
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