<現代型マルキシズムが未だにスターリニズムとは何だったのか、自由を目指した結果としてなぜ最も抑圧的な人工国家が発生してしまったのかという課題に明確な≪解≫を与えていない件について:毎日30分しか触らないスマホから>
定義「マルキシズム」=「政治・経済・法理論の総合体系」
「マルクス・レーニン主義」=「プロ独に至る理論と実践」
「プロ独」=「階級的抑圧を契機とした無階級での無国家社会への変遷過程」とする。
前提として→「資本論」は解釈が錯雑化しているため「資本論の世界」(岩波新書:内田義彦氏著)
「コンメンタール資本」(日本評論社:平田清明氏著)に立脚した。
経済理論については初期マルクスと後期マルクスの<liaison:架橋部分>として「経済学批判綱領」を重視した。
以上を前提として→現代型マルキシズムの研究水準を探る上で①ルフェーヴル②アルチュセール③カレル・コシーク④バラン⑤ウォーラステイン⑥ジェラルドコーエン⑦カール・ポパー⑧ジョンプラムナッツ等の海外文献は既に乱読した。
理由→もし現代社会(令和5年段階)をデリダが俯瞰したならその脱構築的思考において、高度資本主義を理解するために逆説的にマルキシズムへの批判的アプローチを当てると考えたから。
持論的帰結→中央統制機関(国家の経済活動を計画調整する機関を観念)が国内の生産×消費×分配計画を策定し、実行する必要性が発生する。これは逆説的に中央統制機関が国民の需要をほぼ完全に把握する必要性を顕在化させる→極めて難しいと考えた→理由について→❶市場動態の把握は困難❷統制機関の埒外にある観測対象外市場の存在❸大幅な情報遅延(国民→統制機関)❹行動経済学的要素の欠缺(心理的影響を無視し、純粋な数理論的に解決しようとする可能性)。
結論→高度資本主義ではマルキシズムは完全に放棄されたわけではなく、非暴力的・観念論的に存在し、現代経済思想を形成する潮流内部において包摂されて併存し得る
*画像は「ヘーゲル著「法の哲学」×マルキシズムが見た夢」をイメージしレンブラント的夜警国家を織り交ぜた海岸です
*哲学×社会学は趣味として完全独学です
#国連憲章2条4項違反行為は明確に批判したいです #私は自由でありたい
ps:例外的に①代替産業の存在(計画経済が破綻していても代替産業がその補充的役割を果たす可能性:ex石油産業、観光産業、現代アート、金貨や郵趣切手などの外貨獲得手段)②地政学的価値の高くない群島国家(アーキペラゴ)or地域③小規模の地方自治体や地方自治法94条の長村総会では上記理論は成功し得る(私利私欲で動かない強権的カリスマ指導者を必要とするので簡単では無いと思いますが、、)(8/31追記)