読書感想文〜俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年の記録 福永祐一〜
はじめに
両親が競馬を好んでいた関係で僕自身は福永祐一の存在を知ったのはキングヘイローの前だったから、もう27年くらいは前のことだ。10歳になったかなって頃だったと思う。まだ武豊がダービーを勝っていなかった頃の話だから文字通り前世紀の話だ。そう考えるとものすごく長い期間「福永祐一騎手」を見てきたなぁと思う。
個人的な第一印象は「そんなに上手いかな?」だった。当時は武豊に岡部幸雄や横山典弘、柴田善臣、藤田伸二、松永幹夫、田中勝春などの騎手が凌ぎを削っていたが、若手で勝っている福永祐一がそこまで目立つ存在でもなかった記憶がある。実際に連れて行ってもらった夏の小倉2か月開催の時でも目立っていなかった印象が強い。
もっぱら大人になって自分で馬券を買うようになってからだ。「最近の福永祐一は上手いな」「福永祐一だから勝てたな」ってレースがしっかり記憶に残るようになったのは。ジョッキーとしてもっとも上手くなった時に引退を決めた。個人的にはそんな印象がある。
そんな、個人的に馬券の相性が良いわけでもなく第一印象も良かったわけではない福永祐一騎手が調教師に転身し自分の厩舎を構えるのが今週末から、そこで福永祐一の新著を読んでの感想を書きたいと思う。
読書感想文
よし、今回も500文字少しで本題に入れたぞ、成長が著しい(自画自賛)。
まずは、本の内容を書く前にはじめにでは全然足りない「オレが考える福永祐一」を書いておこうと思う。
騎手としての第一印象は先述の通り、そこまで上手いか?だった。特に僕が子どもの頃から見ていたから後年「こんなに上手くなるなんてなぁ」と思うほど、福永祐一騎手の技術は上手くは見てなかった。
逆にインタビューなどではぶっきらぼうに答える昭和の騎手が多かった中、しっかり答えている姿を見ていて「騎手っぽくないなー」と思っていた。勿論いい意味でだ。川田騎手の読書感想文でも書いたが、昭和の九州人の気質として他人の人となりや礼儀には非常に厳しい目が子供にも宿る。勝てば何でもいいという勝負の世界でも礼儀がしっかり出来ていない奴はゴミクズ以下だくらいの縦社会制度が九州には当時強く残っていた。そんな中で武豊以外でこんなにしっかり答える人がいるんだという印象が強かった。うちの父親は「騎手じゃなきゃ素晴らしい社会人になっただろうに、損失かもしれん」とまで言っていたくらいだ。
全体的に勝負師という印象は薄かった気がする。どちらかというと優等生タイプというか。武豊もそうだが、100点の馬を100点近く、50点の馬を50点近く能力を出させる事には長けていたが、50点の馬で0点になるかもしれないけど101点にして勝つにはこれだ!という勝負はあまりしない騎手だと感じていた。「いかにマイナスポイントを重ねないか。」という感性の人だったと思う。横山典弘や岩田康誠、池添謙一のような真逆タイプが好きな自分としては「福永は買っても勝負しないから大レースでは買えない」という価値観が醸成された。少なくとも2010年くらいまでは15年くらいそんな印象が強かった。
ただ、そのあたりから勝ちに拘る騎乗が見受けられるようになったのと、乗ってる時の姿勢が良くなってきた気がした。ちょうど23歳くらいだった僕が関東で大学生や社会人をしている時に単位と給料を犠牲にして競馬場に足繁く通えていた頃の話だ。やっぱりフォームが綺麗な人は上手に見える、福永祐一がその騎手側に入ってきた感じがしたのがこの頃だ。この頃は競馬場でレースを生で沢山見れたので、フォームが変わってきた騎手に僕が気付けた時期でもあるが、それこそ福永祐一や川田将雅と言った騎手の乗り方が各季節ごとに変わっていくのを間近で見ていた。
おかげでこの辺の時期は条件戦で本当にお世話になりました。とはいえ、大レースではやっぱり買いたくないなという想いは正直残っていた。
そんな時についに福永祐一がダービーを勝つ時が訪れるのだが、これこそ「福永祐一じゃなきゃ絶対に勝ててないレース」だったといまだに思うワグネリアンでのダービー。僕は池添謙一のブラストワンピースから大勝負してたけど、レースが終わった時に福永祐一の巧さに唸った。未だに見返しても鳥肌が立つ。悔しさよりもおめでとうという気持ちと「これが出来るなら20年前からやってよ、ユウイチ笑」と正直思った。
これ以降の5年くらいは多分日本競馬会の中で1番上手いジョッキーとなってたと思う。シャフリヤールのダービーやミスターメロディの高松宮記念、ジオグリフの皐月賞などは「福永祐一が勝たせた」レースだったと確信している。
本の内容に入る前で2000字だな、前言撤回、祐一と違ってオレは成長がない←
本の内容に入ると、印象通りだったなという部分も結構あった。執着がないことや、馬ファーストで考えていたことは勝負師としては弱いと感じていた自分の感性が表現は違うとはいえ、同じような感覚で理解できる文脈があった。
自分も医療職なので現場と外から見える景色が全然違うことは理解しているつもりだが、競馬騎手はそれが比じゃないほど大きい事もよく分かる内容だった。やはり、jraの騎手は選ばれし存在という事もよく分かった。どうしても競馬はギャンブル的な側面がある中で馬で飯を食わせてもらってるという中の現場の人間との温度差の話はなるほどなと理解させられた。
面白かったのは所属厩舎やバックアップしてくれた厩舎が解散(定年)した後の話だった。籠から出たというわけではないが、所属先がなくなって自力でレベルアップを考えた時にマイナーチェンジではなくフルモデルチェンジを選んだところの話は自分の抱いている福永祐一像とは全然違う所だった。競馬に携わっていないコーチをつけてメソッドをこなしていく。そして、フォームが変わっていく。これがちょうど2010年前後とのことで毎週末競馬を朝から夕方まで見てパトロールフィルムも何回も見てと競馬熱が凄かった頃の自分の感性にも正直驚いた。そら、この熱量があれば馬券が当たるわ、家賃を馬券で支払ってたもんな。
福永祐一という騎手を保守的な人間というイメージでいたが、それは大きな間違いだった。本人は執着のなさと表現しているが、間口が広い。まずはやってみよう、取り入れてみよう、合わなきゃやらなきゃいい。ここまで口で言うのは簡単でも実践するのは難しい。
イチローが筋トレで増量してシーズンに入ったら思ったように体が動かなくて体重を戻したという話の時に「挑戦しないと深みは出ない」と言ってたことがあるが、福永祐一も挑戦しては取り入れたり、やめたりを繰り返して後半の騎手人生に大きな影響を及ぼしたんだと感じた。無駄と誰かが思うようなことが無駄ではないという典型だったのかなという理解をしました。
転身を決めた理由のところを読んでいろいろなものがタイミングで繋がった結果なんだなというのはよく分かったし、その決断を否定する気持ちも非難する気持ちもないけれど、最後の頃にはもっとも信頼できる騎手の1人になっていたので勿体無いなという感覚も競馬好きとしては抱かないわけにはいかない感情が正直なところ。
人は変われる。という良い実例を身をもって教えてもらった。そんな気がしています。
お疲れ様でした、福永祐一騎手。
ここからスタートですね、福永祐一調教師。
終わりに
この本はマジで買って読んでくれってくらい面白かった。特に身近な存在に近かったからかもしれないけれど、自叙伝読んでなるほどねーってなった回数は圧倒的に多かったです。
競馬に限らず普通に1人の人間のエピソードストーリーとしても読み応えがあるし、挑戦することや新しいことへの間口を広く持つ大切さは良く感じました。本人は執着がない、プライドがないって表現が多かったけど、そこに持つ矜持や意地やポリシーみたいなものが逆に感じられました。
思考回路的には川田将雅騎手タイプではなく福永祐一騎手タイプの思考法をする自分だけど、勝負事の価値観については川田将雅騎手の方が合うのが僕なので、馬券として勝負する面では福永祐一派では無かったですが、人間福永祐一のファンになった気がします。
現役の時に書いてくれたらサイン企画とか応募したのに!
今回は超新作の著書を読書感想文しましたが、次回作は何にしようかな。また自叙伝なのは間違いありませんが、それでは次回作でお会いしましょう!