見出し画像

読書感想文「スティーブンキング呪われた町」 吸血鬼のグローバリズム

スティーブンキングの1975年の作品、吸血鬼が現代のアメリカの田舎町に現れるモダンホラー。
アメリカの田舎町に二人の怪しい男性が引っ越してくる、この二人の正体はもちろん吸血鬼なのだが、でも時代設定は70年代のアメリカなので吸血鬼は外国から来たビジネスマンとしてこの町に現れる。

だからこの小説はゴシックホラーからゴシック様式を無くした吸血鬼小説として展開していくのだが、最終的には資本主義社会の寓話のようなホラーになる。この吸血鬼たちは、町の不動産会社と正式に契約書を交わして町の住民になる。
たぶん、2024年の今読んだ方がキングの意図はわかりやすいと思う。この吸血鬼は、日本だと北海道の土地を買い占める外資のメタファーになると思う、アメリカ人の読者には昔は日本の不動産会社のメタファーで今は移民問題になるのかもしれない。

スティーブンキングは、現代の吸血鬼は外資系ファンドの社員のように、または富裕層の外国人として町の中に忍び込んでくるのではないか、と1975年に考えた。この小説の吸血鬼たちは、住民に愛想が良く、話もうまい、そうやって町の主に女性の住民たちを味方にしていく。

でも主人公の作家のベンを筆頭に住民の何人かは、外国からやって来たこの二人組が吸血鬼だと気付く。しかし、住人のほとんどは信じない。それでもベンたち少数派は吸血鬼から町を守るために抵抗運動を始める。まるで兵庫県のやり直し知事選やトランプ大統領を支持する人たちとしない人たちの対立で町が分断するような、今の社会状況と変わらない展開をする。

大袈裟かもしれないが、世界中でこの小説のようなことが起こっている、ただ中心にいるのは吸血鬼ではないけれど、でも今の現実の社会はモダンホラー小説みたいだという感じはあると思う。
この小説の凄いところは、ベンたちに味方する神父が神を無条件に信じることが出来ずに吸血鬼に敗れること。今の問題に喩えるとオールドメディアがネットメディアに敗北することを示唆している、またはオーバーツーリズムで町が変容していく、そういうメタファーにもとれる展開をする。

外国人観光客や外資やトランプが吸血鬼だと言いたいわけではない、ただスティーブンキングは、そもそもの吸血鬼の物語が中世の時代に突然自分たちの村にやってきて村を侵略していく外国人のメタファーだったのではないかと考えている。(ヴァイキングとかが今は外資の社員としてやってくるというのは少し煽情的な気はする、だけどそういう被害妄想は過去の世界の歴史から生まれている)

吸血鬼に血を吸われた住人たちというのは、外国人に買収された、啓蒙されたことの比喩、別に外資や外国人に気をつけろと言いたいのではない、ただこの小説を読むとなぜ世界中の人が移民問題やオーバーツーリズムや外国企業の世界市場戦略を問題にするのか、その感情が理解できる。
この小説では十字架が圧倒的に吸血鬼に強い、要は古いキリスト教的世界VSグローバル資本主義は21世紀になっても続いている。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集