映画レビュー「夏へのトンネル、さよならの出口」 現実は取り返しがつかないけれど
SFのカテゴリーとしてこの映画を見るとツッコミどころはあると思う。
だけど過去に罪を犯した人間に(本人がそう思っている)未来を生きる意味があるのか、自分にとって大切な人がこの世からいなくなった後にどう生きればいいのか、こういう重いテーマを描くために過去から未来までの人間にはどうにも出来ない長い時間の概念が必要で、そのためにSF的な設定を使った、そう受け取るのが正解の気がする。
ウラシマトンネルを進むのか止めるのかというのは、主人公の塔野と花城が心中するかしないかという問題の比喩の気がする。二人が死んだ塔野の妹と三人でトンネルの向こう側の世界で暮らすこともありだと言って無謀な計画を実行しようとするのは現在の人生の否定だと思う。
二人ともトンネルを進んだら若さを失う(人生をスキップする)とわかっている、だから願いを叶えて元の世界に戻っても無意味なことを認識している。二人は願いが叶わないのに長い人生を生きていくことに疑問を感じている、それならいっそ途中経過をジャンプして結末に行ったほうが良いと思っている。それほどふたりは孤独で家族と事実上縁が切れている。
でも花城には漫画家になれるかもしれないという希望が現れて、でも塔野にはなくて恋人たちの進む未来に断絶が生まれる。
たぶん、SF的な設定がなかったら恋人と死別した花城が漫画家になって、もう二度と会えない塔野のことを想って届かないメールを書いてエンドというような展開になると思う。
だけど、そういうリアリティをひっくり返した向こうにあるものを観客に見せたいというのがこの映画のテーマの気がする。塔野が死んだ妹(後悔)より花城への愛を選んで死の世界から駆け戻ってくる場面、ほとんどの観客は素直に感動すると思う。
観客はある程度歳を取っているのでもう絶対に青春時代をやり直すことは出来ない、先に待っているのは時間が刻々となくなっていく世界。
どんな人も塔野のように、取り返しのつかない選択をした経験はあるはずで、でも現実ではもうどうにもならないが、この映画の塔野を見て心理的に救済される。だからこれで問題なし、これで最高、確かに物語のディテールは大事かもしれないが、それより伝えたいメッセージの方が大切だと思う。