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映画感想文「π」 3.14…の先にあるもの
この映画のπは強迫観念の象徴なのだと思う、3.141592…どこまでも延々と続いて終わる気配のない数字の配列。もし主人公の天才数学者のマックスが言うようにこの世界に起きる現象はすべて数字で解明できるのなら、この世界はどこまで行っても未完成ということになるのかもしれないし、最終的にはコンピューターにしか解明できない世界なのかもしれない。
マックスは本当に天才数学者なのだろうが、別に天才でなくてもどんな人も強迫観念に囚われる。マックスの悲劇は、自分だけではなくこの世にいるすべての人が(程度の差はあるけれど)強迫観念に囚われていることに気が付いていないことなのではないだろうか。
ユダヤ教の信者たちや、囲碁仲間の老人、企業のお偉いさん、みんな強迫観念に囚われていて、その答えを求めて行動している。下手をするとマックスより彼らの強迫観念のほうが強いのかもしれない、だからマックスが見ていると思っている幻想はあの人たちの強迫観念が混ざり合って出来た混沌の幻想世界かもしれない。
マックスが言うように世界は数字で解明出来るような合理的なものなのか、実は人間たちの強迫観念がごちゃ混ぜになった妄執と狂気で出来ているのではないかというのが、この後のダーレン・アロノフスキーの映画のような気がする。
というか、数字の羅列を見て異常な幻想を見る、感情が混乱する、頭がおかしくなるほどハイになる。視聴者は映画を見ていて、マックスみたいに数字の法則が見えるわけではないが、映画監督の強迫観念に憑りつかれることはある。映画に出演している俳優のファンになるのは、監督の強迫観念に影響されたからだと思う。
今はあまりないレンタルビデオ店に行って、置いていない映画をどうしても見たくなって憑りつかれたように探し回った経験は誰にでもあるはず。最後の場面のマックスはオールナイトで映画を何作も見続けて、劇場から出てきたら現実の世界とのギャップにびっくりして戸惑っているコアな映画ファンに見えなくもない。