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映画レビュー「アンダー・ユア・ベッド」韓国版 水槽の中の魚のような
主人公は学生時代から誰からも名前すら覚えてもらえなかった孤独な男とある。でも大学まで行っている人間がそこまで世の中から存在していないみたいに無視されるだろうか。実際は彼にとって片思いをしている女性に認識されていない自分は存在しないに等しいという彼の内面の世界のイメージの気がする。
だから主人公にとって彼女は水槽の中にいるグッピーのような別の世界にいる人間になった。観客は主人公のことを好きな女性を監視カメラで監視する変態だと思うかもしれない、でも主人公はグッピーがいる水槽の中に行けないように彼女の現実世界にも行くことが出来ない、だから彼女を外から見守るしかないのだと思う。
この映画は時系列が主人公、女性、女性の夫という多視点で交錯しながら進む。観客も監視カメラで撮影された現実を多数のモニター画面で同時に見ているような感覚で映画を見る。
でも、この感覚はコロナ禍の時のステイホーム中の現実感覚と似ている気がするので、主人公の目の前の現実が遠い世界の出来事のような虚構のような感覚は共感できると思う。
問題は主人公が経営している海水魚ショップに現れる常連客のあの男は、別の並行世界に存在するもうひとりの主人公のような存在と観客が思っても構わないという意図で監督が演出したのかという問題、この何のためにこの映画に登場しているのかわからなかった常連客がきっかけになって物語は急変するので、そういう含みはある気がする。
ここから主人公と女性の時間軸(現実)はつながるので、この辺りは少し並行世界をテーマにした映画の感じも少しある。実際主人公は終盤で女性にパラレルワールド的な現実についての自説を語る場面がある。
確かに昔好きだった人と久しぶりに会うと別の人に会ったような変な感覚になることはある。この映画の登場人物全員もなぜこうなったみたいな非現実感を抱いていて、観客も映画を見終わった時に五人ぐらいしか人が出ていなかったみたいな、妙な非現実感が残る。