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映画感想文「シークレット・サンシャイン」 赦しを拒否する女性

ヒロインの”イ・シネ”は元々心に問題を抱えていた気はする。父親との関係に何かがあったと匂わせるモノローグもあるし、亡くなった夫が不倫をしていたという過去にも何か引っかかるものを感じる。
シネは最終的に安易な神や人間による魂の救済を拒否する人として、この世界にあり続ける。そういう意味では宗教に懐疑主義的な立場にいる?監督や原作者を代弁しているのかもしれない。

子供を誘拐して殺害した犯人が、私は神に赦されて救済されましたと堂々と語るようなものが宗教といえるのかという問題、シネがこの瞬間に神への信仰を失うのは当然のような気がする。

映画はこの犯人は自分の安寧のために神を利用しただけなのか、自分の罪を償うために本当に信仰に目覚めたのか曖昧にしている。だからシネが一番本物の神を求めている、自分が救われたい為に神を利用している人たちに反発する、でもそういうシンプルな話に監督はしない。

シネに一方的に想いを寄せるジョンチャンという男性がいて、ジョンチャンはシネ一筋で彼女に冷たくされても、シネが異常な行動をしても変わらず好意を寄せ続ける。彼はシネが神を信仰するから神を信仰するようになった、ある意味不真面目な信者なのだが、たぶん、最後はジョンチャンのシネへの愛は信仰のような愛の境地に達している。だけどシネは最後まで彼を軽く扱い彼に感謝することはない。

もうひとり重要な人物としてシネの子供を殺した犯人の娘がいて、彼女は父親のせいで不幸な人生を送っている、だけどシネは彼女の苦しみを知っているのに赦しを与えない。
この犯人の娘はある意味シネの分身のような存在だと思うのだが手を差し伸べない、この娘も最後はシネより人間的に成長した感じがある。

シネがジョンチャンに感謝して、この犯人の娘を赦すことが出来れば、神に赦されて今は幸福ですとのたまう犯人に本物の神の恩寵を見せることが出来ると思うのだがシネはそうしない。
ジョンチャンも犯人の娘も神に近づいたのに、シネは自分にも他人にも安易な魂の救済を拒否する。でもこのシネの精神を病むほどの葛藤が本物の宗教だと言えばそうなのかもしれない。


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