📚書評📖『汝、星のごとく』──凪良ゆう

　もっと真面目にまっすぐまともに生きていたのなら、ショートカットできたのかな。

　と、仕事でパソコンを使うときふと思うことがある。
　真顔で「こういうものです」みたいな雰囲気で、ショートカットキーをしれっと使う自分に、本当はとても傷ついている。そのことを、誰かに心の底から分かってもらいたくなる。

　人生に正解なんてないし、嫌な事ややるせない事があったとしても、「もうそれはそれとして」生きていくしかない。
　許せない人がいたって仕事をしなくてはお給料がもらえない。過去投げられた一言が耳にずっと残っていたとしても、友達と近況報告したい。昔の傷跡が顔に残っていたとしてもお化粧ぐらいさせて欲しい。
　大体、わたしは「自分にされたこと」ばかり覚えているけど、わたしだって誰かにトラウマを与えているんじゃないですか。わたしの投げた何気ない一言が元で、引きこもりになってしまった誰かがいるかもしれない。いないって、本当に決めてしまっていいのですか。

　どうして、わたしは合理的に生きられないのだろう。
　それは、怠惰だったのかな。どこかで甘えていて、頑張るべき時に頑張れていなかったのではないかな。
　もっとまともだったら、負わなくてもよかった、負わせなくてもよかった、傷が、生き方があったのではないかな。
　と、ショートカットキーを知ってしまったあの日から、折に触れて考えています。

　そんなわたしの感情に、「分かるよ」と頷いてくれる小説が、一冊。

『汝、星のごとく』──凪良ゆう

　はい。わたしが紹介せずともみんなご存知、2023年本屋大賞受賞作品です。
　泣いた。ざっくりジャンル分けしてしまえば「恋愛小説」だけれど、もはやこれは暁海と櫂の一代記だった。
　ショートカットキーを知らない、遠回りと傷跡だらけの物語。作中の登場人物にとっても、読者にとっても、根気強さが求められるストーリー展開の連続だった。

①あらすじ

＊しれっと先の内容を書いてる箇所があるので、ネタバレ嫌な方は気を付けてください。

──わたしは愛する男のために人生を誤りたい。

風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海（あきみ）と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂（かい）。

ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。

生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

──まともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。

講談社BOOK倶楽部（https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000366625）の紹介文より

　暁海と櫂の恋と愛を背骨に、物語は展開していく。

　付き合う→遠距離恋愛になる→別れる→再会

↑「こんな単純な話じゃねえよ」と自分にツッコミを入れつつも、ふたりの関係の軌跡は大体こんな感じ。
　ぬるりと付き合いはじめて、若干曖昧なほろ苦い別れをして疎遠になり、再会するまでにお互い色んな経験をする。

　この、「色んな経験」の多さに目まいがする。

　まず、前提として暁海も櫂も、元々家族の関係が不安定だ。親も人間というけれど、それを言うなら子供も人間で。だけどそんな問答は、ふたりの痛みの本質の半分も芯を食っていない。

　家族という足場が頼りないくせに、社会に出たら出たでその場所特有のコミュニティと人間関係がある。
　暁海は幼少期から抜け出せないでいる狭い島の中で、櫂は日々目まぐるしく変化していく東京の中で、社会人として生きていく。うまく適応できない時、上手に人に頼れないふたりは何度も何度も沈んでいく。

　息がしづらくて、現実の状況が一気に好転する訳が無いので、地道に頑張るしかないのに、体のどこかに力が入らない。

　それは、一緒にいるべきふたりが一緒にいないからこそ起こったバグかもしれなかったし、一緒にいたところで起こったバグだったろうし、とはいえふたりで乗り越えてみたかったバグなのかもしれない。

②ショートカットできない不器用さに救われる

　この本を読んでの一番の救いは、「ショートカットできないものなんだ、人生って」という確信だった。

　この小説には数多くの絶望と脱力感が溢れている。
　暁海と櫂、そして彼らの周囲の人間たちの、嘆息が何度も聞こえてくる。

　特にわたしは、作中描かれたある男性の死が特に胸が痛くなった。
　勝手なことを言っても良いのなら、生きていて欲しかった。だけどそれと同時にあの時点で「ちゃんと生きていてくれた」んだよなとも思った。
　全部の気力を振り絞って、最低限の力で生きていた。
　どうしてあの日はかなくなってしまったのか、分かる気がした。
　本当はずっと、自信がない人だったのだろう。自分が生きる理由も、死ぬ理由も、自分の頭で出される答えでは満足できなくて、そのせいでずっと苦しい。

　あの時、あの会話の時間、本当に幸せだったよね。

　あなたがはかなくなっていく過程。とても苦しくなる一瞬の手前、「楽しかった。満足した。」と強く強く思えたことを祈る。「もういい」よりも、強く、楽しかったなってあなたは思えたよね。
　そう、思い込んでも許してくれるよね。

　この物語には、正解が一つもない。

　不倫、先生と生徒同士での恋愛、同性間の恋愛、愛のない結婚……作中で溢れる恋と愛の形は、誰かにしっかり迷惑をかけて、自分にも傷ができて、後ろ指をさされるものばかり。

　うまく親との関係を切り離せていたら、暁海と櫂は早く楽になれていたのか。
　島をふたりで出れていたら、逆に島を出ないで生活を続けていたら、ふたりの関係に波風は立たなかったのか。
　夢を負わなければ、あんな人を好きにならなければ、こんな性的指向がなければ、仕事と情を切り離せれば、お金がなければ、あれが無ければ、これがあれば……。

　だけど、彼らは手放せなかったし、手放してしまった。優しかったし許してしまった。
　そのせいで遠回りをして、結果的に再会した。

　あまりにも時間がかかりすぎていたのに、「苦しんだ時間も必要だったのかも」と錯覚してしまうほどに、暁海と櫂の再会は明らかに必然的で、何より眩しかった。

　人生にショートカットキーはない。過去のアレコレを消すことはできず、未来に向かって作業効率を上げるよう努められるほど、心と体は噛み合っていない。

　誰かに傷をつけられた分だけ、たくさん間違え人を傷つけて、だからこそ人を受け入れ最後には許せる。

　みんなに出会えて、わたしは実は幸せ。