謎解き『舞姫』⑦(森鷗外) ――手記がセイゴンで書かれた意味――
(2) 手記がセイゴンで書かれた意味
手記はなぜセイゴンで書かれたのでしょうか。
前回、私は「この恨みを消すこと、これが豊太郎の手記の目的である」と述べました。
エリスを捨てると決意することが、「この恨みを消すこと」につながるのでしょうか。
いや、真逆です。
「どんなことがあってもやはりエリスを捨てない」と覚悟することが、「この恨み」をすべてではないにせよ、消すことにつながると言えます。
太郎がセイゴンでこの手記を書いたのは、日本を目前にして、「必ずエリスとその子を日本に呼び寄せる」との決意を固めるためです。
豊太郎の戦いは、日本に到着した時点から始まります。
セイゴンで手記を書いたのは、帰国後の戦いを前にした豊太郎の自分に向けた決意表明であり、理念上の読者に向けた闘争宣言であったからです。
『舞姫』冒頭文にもその気持ちが表れています。
「石炭をばはや積み果てつ」
いかにも唐突な書き出しです。
この印象的な一文で、なぜ作品は始まったのでしょうか。
豊太郎が乗った汽船は全長100mを超える大型船でしたが、その石炭の積み込みは汽船に近づいた小舟から人足が笊で運搬し、石炭庫に投げ込んだようです。
その作業に終日かかったという記録もあります。
ガラガラという大きな音が、汽船中に響き渡ったことでしょう。
長い騒音が終わった後、船は不思議なほどの静寂に包まれます。
豊太郎を除く乗客たちのおそらく全員が、市内のホテルに移動しています。
長く続いた騒音は豊太郎の苦悶を連想させます。
そして、静寂は豊太郎の新たな心境を表しているかのようです。
その心境は「過去の全てを断ち切り、官吏として再出発する決意」なのでしょうか。
私にはどうしても信じられません。
豊太郎は愛するエリスとその子を捨てたのです。
旅の途中、内臓がひっくり返る程の苦しみを味わい、つい昨日までその苦しみは一日に何度も豊太郎を苦しめていました。
その豊太郎がセイゴンに着いただけで、一転「静かな心境」になれるものなのでしょうか。
私にはどうしてもそう思えない。
しかし、エリスを救うと決意したのなら、この時の「静かな心境」は理解できます。
豊太郎は黙って、一人で自らのエリス救済計画を進めようとしていました。
セイゴンは日本に到着する直前の位置にあります。
彼の計画は日本に到着した時から始まります。
もう今までのように泣いているだけではいけないのです。
日本に着いたなら、周囲の誹謗中傷に耐え、エリスを迎える準備をしなければなりません。
今までの地位も名誉もすべてを失うことになるでしょう。
留学費用の返済さえ命じられるかもしれません。
新たな生活の道を切り拓かねばなりません。
家屋敷も売り払うことになるかもしれません。
日本に着いてからでは遅いのです。
だから、豊太郎はセイゴンで一人船に残り、心を静めて手記を書き、決意を新たにしたのです。
「石炭をばはや積み果てつ。」
出発の準備は整いました。
意志的な完了を表す助動詞「つ」に、これから始まるエリス救済計画への豊太郎の強い決意を私は感じます。
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