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謎解き『杜子春』(5) 大人のための芥川『杜子春』と李復言『杜子春伝』

『杜子春伝』は1200年ほど昔の唐の時代の物語ですが、現代に生きる日本人の問題として読むことができます。

10 現代人のための小説『杜子春伝』

 第二回の投稿で、私は李復言の『杜子春伝』にはほとんど不可解な点がないと言いました。
 しかし、疑問点が全くないわけではありません。
 その一つ目は、「西市のペルシア邸」です。
 道士は杜子春に金を与える際、西市のペルシア邸に来るように伝えました。
 これは道士の自宅なのでしょうか。
 道士がペルシア風の邸に住んでいたとしたら、かなり異様な感じがします。
 私は、李復言はある意図があって、道士をペルシア邸の主にしたのではないかと疑っています。
 ただ、これについては、はっきりした根拠があるわけではありません。
 一説を読んで、そう思っただけです。
 その説とは、『杜子春伝』は上仙を求める風潮に反抗して書かれたというものです。
 内山知也氏も『杜子春伝』のテーマを、「あまりにも非人間的な当時の修行行為への拒否」にあるとされています。
 とすれば、李復言は道士を批判する意図をもって彼をペルシア邸に住まわせたのかもしれません。
 ペルシア邸ということは、その家はシルクロード交易の莫大な利益から建てられたものでしょう。
 要するに、若い頃の道士は商人であって、シルクロード交易で大儲けをしていたということです。
 だから、道士は杜子春にも湯水のごとく金を与えることができました。
 その成金が老人になって、最後に果たしえぬ不老不死の夢を果たそうと、道士になったというわけです。
 実に安易ではありませんか。
 そういう視点からあらためて『杜子春伝』を読むと、確かに李復言は道士を「いい人物」には描いていないことがわかります。
 仙薬を作るための「モルモット」として道士が選んだのは、親戚からも友人からも見放された「ならず者の杜子春」です。
 また、金額を吊り上げつつ杜子春を自分の計画に引き入れようとする道士の姿を見たら、多くの人は嫌悪感を抱くのではないでしょうか。
 道士は杜子春がしくじった時、怒りに任せて彼の頭を水がめの中に突っ込んでいます。
 道士にあるまじき振る舞いです。
 恐らく、唐の時代、エセ道士は大勢いたことでしょう。
 当時の読者なら、「ペルシア邸に住む道士」と聞けば、ピンときたのではないでしょうか。
 現代なら、こんなふうに噂されていることでしょう。
 「ああ、あの欧米式の大豪邸に住んでいる爺ちゃんね…。若い頃、貿易でしこたま稼いだんだって。危ないこともしてたんじゃない? 今はもうリタイアしたらしいけど、遺伝子技術か、免疫療法か、なんだか知らないけど、大金使って、死なないように頑張ってるって噂よ。いったいいくつまで生きるつもりかしらね…。」
 李復言が、なぜ道士を不似合いな家に住まわせたのか、その理由を想像してみました。
 疑問点の二つ目は、女になった杜子春が声をあげた理由です。
 彼女は、目の前で我が子を夫に惨殺され、思わず「ああ」と叫んでしまいました。
 しかし、杜子春は目の前の光景がすべて幻でしかないことをよく承知していたはずです。
 道士は初めに「お前がこれから経験することは、全部うそだ」と杜子春に伝えています。
 それなのになぜ杜子春は声をあげたのでしょうか。
 妻が拷問を受けた時は、妻に哀願されようが罵倒されようが、一切声をあげなかったのに…。
 妻への愛より、子への愛のほうがずっと強かったということでしょうか。
 いや、そうではないでしょう。
 妻が拷問を受けた時と子が殺害された時とでは、杜子春の条件が違っていたのです。
 子が殺害された時、杜子春は「女」に生まれ変わり、盧硅の「妻」となり、子を産んで「母」となっていました。
 つまり、本来の自分、「男」であり、「夫」であり、(「父」であったかもしれない)自分を失ってしまっていたのです。
 杜子春はこの時、「女・妻・母」である自分のことを、紛れもない「真実の自分」であると実感していたことでしょう。
 とすれば、わが子の殺害も、瞬時のことでもあり、「真実」だと錯覚したのではないでしょうか。
 妻に対して声をあげなかった杜子春が、この時声をあげたのは、当然なことなのです。
 七情を超える試練は、実に巧妙に仕組まれていました。
 李復言の構想は見事です。

 李復言は、道士と杜子春をどのような人間として描いたでしょうか。
 まず道士を見てみましょう。
 道士が杜子春に試練を与えたのは、不老不死の仙薬を作るためでした。
 不老不死は人間の欲望の中で最大のものです。 
 金銭欲であれ、名誉欲であれ、愛欲であれ、自分の命がなければ無意味ですし、若さが伴わなかったらやはりその価値はかなり減殺します。
 その不老不死の薬を得るためには「七情を捨て」なければならないのですが、そもそも道士はなぜ自分の力で七情を乗り越えようとしなかったのでしょうか。
 たぶん自分の力では乗り越えられないと分かっていたのでしょうね。
 それで、七情を乗り越えられそうな者を探していたところ、杜子春を見つけたということでしょう。
 杜子春はならず者ですが、気力はありそうです。
 なにせ自分のことは棚に上げ、親戚を逆恨みするマイナスのエネルギーだけは強く持っていましたから。
 実際、三度目、大金をもらった時、心を入れ替えた彼はかなりのことをやってのけました。
 道士は、杜子春に欲望の限りを尽くさせて、彼の様子を観察していたのでしょう。
 杜子春は、道士の期待に応えて、自分の欲望を乗り越えたのです。
 道士は杜子春に試練を与え、他人の力で不老不死の薬を完成させようとしました。
 なるほど、この方法なら自分の欲望や七情は温存したまま、不老不死を手に入れられそうです。
 よくよく道士は狡猾な男です。
 でも、杜子春は肝心なところで声をあげました。
 道士の計画は挫折しました。
 道士は失敗者です。
 では、杜子春は失敗者でしょうか。

 杜子春は約束を破って声をあげたのだから、当然失敗したことになります。
 杜子春自身も約束を破ったことを自分の過失だと認めています。
 つまり、物語の中では、杜子春は自他ともに認める失敗者なのです。
 ところが、 『杜子春伝』の読者の多くは、特に現代人である私たちは、杜子春が声をあげたことに共感するのではないでしょうか。

 「目の前で我が子が惨殺されれば、『ああ』と叫ぶのが人間だし、それが正常な心の動きだ。七情を乗り越えたのが仙人だというのなら、それはロボットやゾンビと変わらないではないか…。杜子春さん、失敗してよかったね。」
 こんなふうに感じるのではないでしょうか。
 李復言は作品の中で杜子春を完全な失敗者であるかのように描いていますが、読者は作者に誘導されません。
 ここが李復言のすごいところです。
 作者が一見誘導する方向に読者は向かわない。
 でももし、読者が誘導されないように作者が誘導していたとすれば…。

 作者は杜子春が成功したとも失敗したとも言っていないし、幸福だったとも不幸だったとも言っていません。
 でも、読者は自分に問いかけます、「杜子春は失敗者だったのだろうか」、「杜子春は幸せだったのだろうか」と。
 答えは私たち一人一人が出すしかありません。

 現代社会は複雑怪奇です。
 個人は自由になり、価値観も多様化したと言われますが、案外肥大化した欲望を誰かにコントロールされているだけかもしれません。
 欲に塗れて生きていても、その醜さも知っている。
 死ぬ時ぐらい穏やかに死にたいと願っていても、結局じたばたするかもしれない。
 わかったようなことを言っていても、結局どうなるかは誰もわかりません。
 世界は迷路のようであり、何事も一筋縄ではいきません。
 『杜子春伝』は迷路に生きる人間を描き、一筋縄ではいかない問題を私たちに投げかけました。
 もし李復言が意図してこのように描いたとしたら、彼は時代の制約を超え、普遍的な人間の問題を描いた偉大な作家だと言えるのではないでしょうか。

11 終わりに

 芥川の『杜子春』には、さまざまな謎がありました。
 多くの謎を、今回解明し得たと考えています。
 ただ確実な証拠があったわけではありませんので、納得できない方もきっとおられることでしょう。
 私はただ状況証拠から、上述のように推論しただけです。
 ただ、私は状況証拠から冤罪を作り出そうとしたのではなく、状況証拠から冤罪の被告を弁護しようとしたつもりです。

 芥川は、物語のあちらこちらに多くの飛び石を慎重に配置しました。
 でも、その飛び石を踏んで歩くかどうかは、読者の自由です。
 飛び石を踏まないことも自由だし、その石を踏んだからといって、必ずある方向に進まねばならないというものでもありません。
 「『杜子春』家の広大な庭に、造園家の芥川さんは多くの飛び石を敷きました。
 他の石に紛れてわかりにくいけれど、注意してみれば、それらしいものがたくさんあります。
 その上を歩いてみたら、見たこともない御殿に到達しました。
 たぶんこれが母屋なのだと思います。
 皆さんもこちらの方に来られたらいいですよ。」
……今はそんな気持ちです。

 いかがでしょうか。
 一連の投稿で、芥川『杜子春』の「冤罪」を晴らすとともに、古典として埋もれてしまった李復言の『杜子春伝』の現代的意義を語りました。
 皆さんの参考にしていただければ幸いです。

〈初出〉YouTube 音羽居士「謎解き『杜子春』①~⑤ 大人のための芥川『杜子春』と李復言『杜子春伝』」2022年2月 一部改

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