謎解き『舞姫』⑭(森鷗外)《補説》相沢謙吉という男
森鷗外は「舞姫論争」を「相沢謙吉」の名で行いました。
つまり、相沢は豊太郎の手記を読んだという設定です。
これはかなり大胆な設定ではないでしょうか。
相沢は当然、手記の結末「されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」も読んだことになるからです。
しかし、相沢はこれに怒るわけでもなく、豊太郎のために気取半之丞に反論していることになります。
これはどういうことでしょう。
ひょっとして、相沢は豊太郎のエリス救済計画を知っていたのではないでしょうか。
いや、知っていただけではなく、密かにその計画に関わっていたかもしれません。
確かに、相沢に協力してもらったほうが事はうまく運びます。
実は『舞姫』に登場する相沢という男には、ちょっと不可解な部分があります。
例えば、豊太郎が免官となった時、相沢は某新聞紙の編輯長に説いて彼を社の通信員となし、ベルリンに留まることができるように斡旋しました。
しかし、相沢の考え方からすれば、この時も日本にすぐに帰るよう豊太郎にアドバイスしたほうが自然です。
以下は私の推測ですが、相沢は豊太郎の真の理解者だったのではないでしょうか。
だから、エリスを捨てられない豊太郎のために通信員の仕事を斡旋したのです。
相沢は豊太郎と昼食を共にした時、彼にエリスと別れ、天方伯に自分の才能を示せと勧めます。
この時、相沢は自分から豊太郎を強く推薦することはしないとし、その理由を「伯が心中にて曲庇者なりなんど思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり」と言います。
これは相沢の誠実さがよく表れた言葉です。
「お前のために言っているんだ」という友人より、「そうしたほうがお前にいいと思うし、俺にとっても都合がいいんだよ」と正直に言ってくれる友人のほうが信頼できます。
相沢は豊太郎が「エリスとの関係を絶つ」と言った言葉をすぐに天方伯に伝えたようですが、これとて悪意があってのことだとは思えません。
豊太郎が人事不省になった時、相沢が豊太郎のそれまでの言葉をエリスに伝えたのはデリカシーに欠けますが、豊太郎を思いやってのことであることは間違いありません。(だから豊太郎も「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし」と言ったのです。)
快活で行動が速く、友人思いであるのが相沢謙吉という男ではないでしょうか。
度量があるから、豊太郎に「一点の君を憎む心がある」と言われても、気にしなかったのでしょう。
ちなみに、相沢謙吉のモデルは賀古鶴所だと言われています。
エリスのモデル、エリーゼを発見した六草いちかさんは、「賀古もまた、鷗外不在のベルリンでエリーゼを訪ね、鷗外が結婚したことを告げたのだろうか」と推測されています。
「来日したエリーゼは森家の人々によって帰国させられたが、その際エリーゼは笑顔であった。
それは鷗外とエリーゼの間に再会の約束があったからだろう。
ところがその四か月後、鷗外は赤松登志と結婚した。
そのことを使節団の一員として欧州滞在中であった賀古が、ベルリンにいたエリーゼに伝えた。
『わが豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺きたまひしか』というのは、この時のエリーゼの叫びではなかったか」…というのが六草さんの推測です。
その賀古は『舞姫』を読み聞かせてもらって、「俺の親分気分がよく出ている」と喜び、「ぐずぐず蔭言をいう奴らに正面からぶっつけてやるのはいい気持ちだ」などと言ったそうです。(鷗外の妹、小金井喜美子の証言)
賀古は『舞姫』の中の相沢の言動は自分自身のものであると認識し、豊太郎(鷗外)の心の中に「一点の彼を憎む心」が残っていると聞いても、ほとんど気にしていなかったということでしょう。
豊太郎と相沢とは心の通い合った友人同士であっただけでなく、いわば「ツーカーの仲」であったのではないでしょうか。
だから相沢は舞姫論争において、豊太郎の弁護を買って出たのではないか、と私は考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?