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謎解き『杜子春』(3) 大人のための芥川『杜子春』と李復言『杜子春伝』
原作の老人が杜子春に三回も大金を与えた理由ははっきりしていますが、芥川の老人が杜子春に何度も黄金を与えようとした理由は謎です。
今回、その謎を解き明かします。
6 老人が杜子春を援助した理由
芥川の杜子春と原作の杜子春の人物像はかなり違いました。
二作品に描かれた老人も一見よく似ていますが、実はその造形はずいぶん異なります。
二人の違いは主に老人の正体と、杜子春を援助した目的にあります。
初めに正体について見てみましょう。
原作の老人の正体は道士でした。
道士の定義もいろいろありますが、原作の道士は仙人になるための修行者です。
実際、彼は仙人のような超人的な能力はあまり発揮していません。
芥川の老人には地中の黄金のありかを察知するという荒唐無稽な能力もありましたし、青竹に跨って空中を飛行するという超人的な能力もありました。
原作の老人にそんな能力はありません。
大金も杜子春にちゃんと手渡ししています。
西市のペルシア邸というエキゾチックな場所ですが、リアルな感じがします。
華山雲台峰にも二人で歩いて登りました。
道士は山中に立派な屋敷を持ち、そこには仙薬を煉る炉があり、9人の玉女が取り囲んでいました。
青竜や白虎もいましたが、フィクションの世界における超大金持ちには、まあ可能なことでしょう。
道士が杜子春に与えた種々の試練は、すごいということもできますが、幻術だと捉えれば、超人的能力というほどのものでもないでしょう。
原作の道士の限界は肉体的、物理的なものにとどまりません。
精神的水準というか、道士としての修練の程度も高いものとは言えません。
最後のシーンで、杜子春が「ああ」と声をあげた時の道士の言動を思い出してください。
道士は「しくじったな、青二才! わしをこんな目に遭わせおって!」と叫ぶと、失敗した杜子春の髪をつかみ、彼の頭を水がめの中に沈めてしまったのです。
その後、ただちに冷静さを取り戻したところはさすがです。
しかし、杜子春に求めた「七情の超越」のうちの「怒り」を、道士自身超えることができなかったことになりますよね。
道士が一瞬にして自分の怒りを鎮めた点を、先ほど私は評価しました。
しかし、それを言うなら、杜子春もまた我が子の悲惨な死を前にして、一瞬「愛」を忘れられなかっただけです。
道士は、自分にもできなかったことを杜子春に求めたことになります。
そもそも、不老不死を求めること自体、「欲」の最たるものでしょう。
道士自身が「怒り」と「欲」を超えていません。
漢文学者の内山知也氏が「始末に負えない放蕩児を『大金』で釣り上げ、錬丹を成功に導こうと企てる道士こそ、道心に拠らず金銭の恩義に借りて術を行おうとする安易な神仙願望者である」と指摘しておられました。
全くその通りです。
欲望の限りを尽くした金持ちが老人になって、最後に果しえぬ夢を果たそうとした道楽が、にわか道士となって不老不死を求めることであったのでしょう。
芥川の老人の正体ですが、彼は自ら「おれは峨眉山に住んでいる、鉄冠子という仙人だ」と名のっています。
仙人とは、道教における仙術を体得し、不老不死を得た存在です。
鉄冠子は、恐らく最高級の仙人でしょう。
それは彼の「おれはこれから天上へ行って、西王母(天の主人とも見なされる女神)にお目にかかってくる」という発言一つからも伺われます。
さて次に、老人が杜子春に大金を与えた理由です。
原作の老人の場合は明確です。
不老不死の仙薬を完成させるためです。
ある人間が七情を乗り越えることができた時、不老不死の仙薬が完成します。
なぜそんなことが可能なのか、わかりませんが。
その挑戦者として、老人は杜子春に白羽の矢を立てたのです。
事実、杜子春は「愛」を除く「六情」は乗り越えています。
・喜びと欲望 … 放蕩の「喜び」や「欲望」には惑わされなくなりました。
・怒りと憎しみ … 親戚が薄情なことを怒り、憎んでいましたが、最後には一族を助けました。
・悲しみ … 目の前で妻が拷問にあっても、それに耐えました。
・恐れ … 猛獣や将軍に脅されても、地獄の責め苦に遭わされても、それらを乗り越えました。
どれも乗り越えるにはけっこう高いハードルです。
試練の挑戦者として杜子春を選んだのは、そんなに的外れではなかったのかもしれません。
老人の人を見る目は、案外確かであったのでしょうか。
さて、問題は芥川の老人、鉄冠子のほうです。
第一回で、疑問点①・②を挙げました。
洛陽に貧しい若者は大勢いたでしょうが、なぜ杜子春だけを助けたのでしょうか。
また、鉄冠子は、杜子春が「物わかりがよさそうだったから、二度まで大金持ちにしてやった」と言いますが、杜子春はどこから見ても「物わかりがよさそう」には見えません。
大金を散財するしか能がないわけですから、むしろ愚か者に近いです。
鉄冠子に杜子春を援助する合理的な理由がもしなかったとしたら、やはり芥川の『杜子春』は失敗作であると断じざるを得ないでしょう。
はっきりした理由もなく、鬼ヶ島の「鬼」たちを「退治」し、金銀財宝を奪い取った『桃太郎』という昔話の水準と似たり寄ったりです。
しかし私は、鉄冠子が杜子春を何度も助けようとしたことには理由があったと考えています。
ただ、芥川は明確に書かなかったから、読者には見えにくかっただけです。
私たちの日常と同じです。
すべてが目に見えているわけではありません。
相手が明確に言わなくても相手の気持ちがわかることは、生きていたら何度でもあることです。
さまざまな痕跡から常識とは異なる「真実」が推定できることも、世の中にいくらでもあります。
いつも正しく判断できるわけではありませんが、可能な限り間違えずに生きようとするなら、言葉の真意を読み取ったり、見落としがちな痕跡から事実に迫ろうとしたりする態度は必要でしょう。
私は、芥川はその「事実」の痕跡を『杜子春』の随所にちりばめていたのではないかと思います。
7 鉄冠子の謎とその解明(その1)
賢明な鉄冠子が、なぜ愚か者の杜子春を何度も救おうとしたのでしょうか。
私たちは芥川の小説『杜子春』の価値を疑う前に、まずその理由を考えるべきでしょう。
しかし、鉄冠子には杜子春と直接的につながる接点は何も見当たりません。
それでも、もし鉄冠子に杜子春を救わねばならない何らかの理由があるとしたらそれは何でしょう。
それは杜子春の父母とのつながりです。
作品の中で、杜子春の父母には二度言及されます。
一つは父母が「金持ち」であったこと、もう一つは「畜生道の馬」に生まれ変わっていることです。
つまり、杜子春の父母はもう亡くなっていて、杜子春は孤児であったということです。
冒頭の「元は金持ちの息子でしたが、今は財産を使い尽くして」という書きぶりからは、父母の死後、かなり時間が経っていることを感じさせます。
年齢を特定することはできませんが、杜子春が幼い時に父母が亡くなった可能性さえあります。
ここでは、父母は杜子春が子供のときに亡くなったと想定して話を進めます。
杜子春の父母は何が原因で亡くなったのでしょう。
それもわかりません。
しかし、いかに唐代とはいえ、子供が小さいうちに両親とも亡くなるというのは尋常ではありません。
疫病でしょうか、事故でしょうか……。
誰かに殺された可能性だってあのます。
その父母の財産はどうなったでしょう。
年若い杜子春に財産の管理能力があるとは思えません。
とすれば、彼の後見人となって財産を管理した誰かがいるはずです。
誰であるかはわかりませんが、親戚のうちの誰かでしょう。
そして、その親戚が杜子春の父母の財産を詐取したと考えるのが自然です。
なぜそう言えるのでしょうか。
その証拠は、芥川の杜子春が全く親戚に頼ろうとしていないことです。
一族の結束を大事に思う中国人の杜子春であるなら、原作のように真っ先に親戚に頼ってもいいはずです。
または、親戚の方から杜子春に手を差し伸べてもいいはずです。
それが一切書かれていません。
それは、杜子春と親戚との間に決別すべき重大な争いが生じたからです。
若い杜子春が「いっそ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかもしれない」と思ったのも、そういう背景があったからだと見るべきです。
芥川が杜子春の親戚のことを書かなかったのは、日本人が読む物語にふさわしくないからではなく、杜子春が親戚に頼れなくなっていたことを示すために故意に書かなかったのです。
こう考えれば、杜子春が「愚か」であった理由もよくわかります。
彼はまともな教育を受けられなかったのです。
財産を管理したり事業を起こしたりする方法も、信用すべき人間と信用すべきでない人間を見分ける方法も、親から学ぶことができなかったし、教える人もいなかったのでしょう。
財産の横領をたくらむような親戚が、杜子春の教育に配慮したとは思えません。
私は今まで、芥川の杜子春に「愚か者」であるとか、「恥知らず」であるとか、罵倒するような言葉を投げつけてきました。
しかし、本心からそう思っていたわけはありません。
ただ教育されてこなかっただけです。
彼は幼い時に両親と死別し、遺産も腹黒い親戚に奪われ、わずかな財産を食いつぶして、最後にはホームレスとなった気の毒な若者だったのです。
杜子春の両親の気持ちを考えてみましょう。
年端のいかぬ子を一人残して死ぬのは、――杜子春には兄弟もいなかったと思われます――さぞ心残りであったでしょう。
両親にとって何が一番の心残りだったでしょうか。
それは一人息子の行く末です。
そして、子供に十分なことをしてやれないまま死んでしまったことに、申し訳ないという気持ちを抱いていたことでしょう。
だから、地獄で鬼の鞭に打たれた時、母は「お前さえ幸せになれるのなら、それより結構なことはない」と言ったのです。
子供のためならどんな苦しみにも耐えようと思ったのです。
普通に考えれば、こんな馬鹿な話はありません。
杜子春は閻魔大王に峨眉山にいた理由を話せばいいだけです。
子供のわがままのために、両親が鞭打たれていいはずがありません。
母は怒ってもよかったはずです。
なのに怒るどころか、鬼の鞭をも甘んじて受けています。
母は、生きている時に聞いてやれなかった我が子のわがままを聞いてやりたいと思ったのでしょう。
ここで、畜生道について触れておきましょう。
畜生道とは六道の一つで、生前に悪行を行った者が赴き、禽獣の姿に生まれ変わって苦しむ世界です。
これは、杜子春の両親が「悪人」であったということを意味しているのでしょうか。
ただ、仏教思想によれば、修羅道はまだましな世界です。
六道について、簡単に紹介しておきましょう。
・天道 … 天人が住む世界。天人五衰という苦しみがあります。
・人間道 … 人間が住む世界。四苦八苦に悩まされます。
・修羅道 … 終始戦い争うために、苦しみと怒りが絶えない世界。
・畜生道 … 鳥・獣・虫など、畜生の世界。
・餓鬼道 … 餓鬼の世界。飢えに苦しみ、腹が膨れた姿の鬼になります。
・地獄道 … 現世で悪事を行った者が、さまざまな責め苦を受ける世界。
ここで、少々杜子春の両親について、弁明しておきましょう。
豊かになった現代を除けば、善事だけを行って生きるのは、人間にとってたいへん難しいことだったのではないでしょうか。
まして唐代は、戦争や犯罪、飢餓、疾病などの苦しみが次々に発生した時代です。
だから悪事を行ってもよいというわけではありませんが、社会情勢から言えば、多くの人間は「地獄落ち」するような行動をとっていたのではないでしょうか?
なぜなら、虫や動物をむやみに殺しただけでも地獄落ちという話もあるくらいだからです。
とすれば、畜生道に落ちた杜子春の両親は、そんなにひどい悪人ではなかったと言えます。
当時の平均的な人のあり方からすれば、むしろ善人に近かったと言えるかもしれません。
それはともかく、話の展開から言っても、両親が天道や修羅道、餓鬼道や地獄道から連れて来られたら、少々滑稽です。
物語は喜劇になってしまいます。
鉄冠子は杜子春の両親と何らかの関係があったのでしょう。
具体的にどういう関係なのかはわかりません。
両親との間に何らかの深いつながりがあったから、孤児となった気の毒な子供、杜子春を救おうとしたのです。
こう考えれば、鉄冠子が何度も杜子春に手を差し伸べた理由もわかります。
鉄冠子は単に経済的援助を目論んでいたのではなく、彼を教育しようとしていたと思われます。
彼が一人前の真っ当な人間になるまで、何度でも援助しようとしたのです。
鉄冠子が三度目に黄金を与えようとして、杜子春が断った時のことを思い出してください。
杜子春は「人間というものに愛想が尽きたから、たとえもう一度大金持ちになっても何にもならない」と言いました。
それを聞いた鉄冠子は「急ににやにや笑いだし」て、次のように述べます。
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮らして行くつもりか」
「金持ちの無意味さ」を理解した杜子春のことを「若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ」と高く評価し、彼に「貧乏をしても、安らかに暮らして行く」ことを勧めているような物言いです。
この「安らかな暮らし」とは、両親が杜子春に願っていたことでもあると言えるでしょう。
少々先走って言うなら、鉄冠子はこの時に「泰山の南の麓の一軒の家」を「畑ごと」杜子春にやろうとしたのではないかとさえ思います。
以上のように考えれば、最初の疑問①~④について、明確な答えを出すことができます。
疑問① 鉄冠子はなぜ杜子春を助けたのか?
答え 鉄冠子の知人夫婦が亡くなり、幼い杜子春が一人残された。
財産も親戚に横領され、行き場を失った気の毒な杜子春を救うため、鉄冠子はわざわざ俗界に戻り、側面から彼を援助した。
疑問② 鉄冠子は「杜子春が物わかりがよさそうだから助けた」と言うが、彼には物わかりがよさそうなところが少しもないのはなぜか。
答え 鉄冠子は杜子春に近づき、彼を助ける口実としてそう言っただけである。
疑問③ 金持ちの息子だった杜子春が、そもそもなぜ困窮することになったのか。
答え 親戚に遺産を横領されたからである。
杜子春が放蕩したからではない。
疑問④ 杜子春の母は、なぜ地獄での理不尽な鞭打ちに耐え、「大王が何と言おうと、言いたくないことは黙っておいで」と言ったのか。
答え 自分たち夫婦が早く死んでしまったために、息子は孤児となってしまった。
親に甘える経験も少なく、財産も親戚に奪われて、杜子春はついに家も失ってしまった。
一番の気がかりであった一人息子が、今、理由はわからないにしても、自分の意志を貫いている。
親として、せめてその気持ちだけでも大切にしてやりたいと思うと、鞭打たれるぐらい何とも感じなかったから。
しかしこの後、杜子春は鉄冠子が思いもしなかったことを口走ります。
そのことは次回にお話ししたいと思います。
次回は、「鉄冠子の謎とその解明(その2)」と「大人のための小説『杜子春』」をテーマにお話しします。