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甲子園でチーム唯一の12打数ノーヒット、そんな私が準決勝、決勝に抜擢された理由とは?

皆さん、リードイノベーションのガチムチ系採用責任者、加藤です。私は、小中高大社と現役の野球選手として約23年間フィールドに立ち続けてきた体育会の人間です。(ガチ体育会です。)

雄叫びを上げる社会人野球時代の加藤
群馬県内では常勝を誇る名門チーム
長年中軸を担っていました


今日は、私が高校時代に経験した春の甲子園の話をさせてください。


私は中学卒業後、九州国際大学付属高校(男子部)に進学。ここはプロ野球選手も輩出している名門校。1年生の夏には甲子園に出場した先輩たちをアルプススタンドで応援し、その姿に憧れました。


熱闘甲子園でも毎年流れる帝京戦

そして2年生の秋、私たちは九州大会を勝ち抜き、28年ぶりとなる春の甲子園選抜出場を果たしました。しかし、2011年の春、東日本大震災の影響で、甲子園の開催がどうなるかギリギリまでわからない状況でした。開催が決まったときの安堵は今でも忘れられません。


春のセンバツは実に29年ぶり


開催に踏み切った高野連の方々には本当に感謝です

いよいよ始まった甲子園。我々は初戦の前橋育英戦で、PL学園が持っていた1イニングのホームラン記録を更新し、1イニング3本のホームランを打ちました。チームは次々と勝利を収め、準決勝進出。だけど、私個人はというと…12打数0安打、ノーヒット。秋の大会では3本のホームランを打った自分が、この大舞台で何もできない。焦り、苦しみ、どうしようもない気持ちに苛まれていました。


当時話題になった1イニング3HR


そんな時、宿舎でバットを振っている私に、西尾コーチが声をかけてくれました。「丹田に力をためて、重心を安定させろ。お前は甲子園の雰囲気に飲まれて、軸がぶれてるだけだ。」その言葉を胸に、ただひたすら素振りを続けました。気づけば、外は真っ暗。21時を過ぎていました。


そろそろ宿舎に戻ろうとしたその時、部長に呼び止められました。「監督が、もう一度お前を信じると言ってたぞ。明日もスタメンだ、暴れてこい。」その言葉を聞いた瞬間、涙が出そうになりました。


九国へ進むきっかけにもなった恩師若生監督

翌日、準決勝の相手はスター軍団の日大三高。試合前、私はただ無心でバットを振り続けました。そして試合が始まると、信じられないことが起きました。結果は4打数4安打。「加藤がついに目覚めた!」と新聞やテレビが騒ぎ、我々は9-2で圧勝。日大三高が唯一公式戦で敗北したその試合は、私にとって大きなターニングポイントでした。


試合後、和生監督はこう言ってくれました。「あれだけバットを振ってたら、打てないはずがないよな。信じてよかった。」その一言が、今の私を支えているのです。


翌日の決勝でも4打数3安打、9回にはタイムリーヒットを打ち、最後まで意地を見せることができました。



甲子園でノーヒットのまま終わったとしても、後悔はなかったと思います。しかし、あの準決勝と決勝で得たものは、私の人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。


あれから13年
現在はリード・イノベーションという
コンサル会社の採用責任者をしております

これからも、あの時の気持ちを忘れずに、どんな困難にも立ち向かっていこうと思います。

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