自分の書いたnoteを振り返ってみると。
内省
心理が好きな私にとって「内省」には、とても深い意味があります。
「内を省みる」ことによって、私たちの心がいかに流動性のあるものか理解することができます。
この「内省」する作業をしていくと、心はあべこべで矛盾するものが同時に存在していたり、あるいは悪であったものが善になっていたり逆もしかり。
「内省」により「心」を体験すると、他人にも穏やかに柔らかく慈悲の心を持ち接することができる気がする。
noteを振り返ると
時期あるいは時間によって、言葉の使い方、文章の書き方に若干の違いがあることがわかります。
雑に書いていたり、丁寧めな敬語を使っていたり、たしかに私固有の癖みたいなものはあるけれども、やはり何か違う印象があります。
なぜ、違うのか。なぜ、こういう表現をしているのか。この時はどんな気持ちだったのか。そして今はどんな感じがするのか。
これらのことを考えることにより、より深く自分がわかってくる。と見せかけて謎も深まるばかり。(?)
基本的にnoteは他人のものを見るシステムになっていますが、たまに自分の過去のnoteを見るというのもかなり良い使い方になると思う。
まとめ
「内省できる」ことは、わりと良い意味で使うことがありますが、高い内省性を備えていると、実はそれが強い自己批判につながることもあると思います。
鋭いものは慎重に使わなければなりませんね。上手く使えば武器になります。
武器と言いましたが、武器にしたところで、一体誰を倒すのでしょうか。
参考
とくになし。