自分はナニモノになりたいのか
こんにちは!あいでんです。
一昨日から本日までゼミで東京合宿だったのですが、そこでの話をここ数日は書いていこうと思います。
今日は自己分析?というか自分についてです。
それでは、、、いってみよっ!
ナニモノになりたいのか
同期の女子にこんなことを言われた。
「この一年での成長は近くで見てきたし、あいでんのことは認めている。
しかし、結局あいでんは何をしたいの?」
正直かなり痛いところをつかれた。
最近の私は「卒業したらどうするのか」とよく聞かれるようになった。
たいてい「まったく考えたいない、就活しない」と答える。
そのあとに「何をしたいのか、ナニモノになりたいのか」と問われると答えることができない。
なぜか。この問いにはいつも目をそらしているからだろう。
結局のところ私は"やりたいこと"がない。
そのくせ選り好みしがちなところがある。
そんなこんなで「何をしたいのか、ナニモノになりたいのか」という問いに答えることができない。ざっくりとしたイメージもわかない。
その後友人とこのことについて話をしたのだが、当然ながら次のような話になった。
それは、「初めからやりたいことが見つかるなんてことはほとんどない。行動することでやりたいことが見つかるのだ」というものだった。
まあしかし、当たり前の話だと思う。
私が周りの人から常々指摘されることがある。それは"行動力のなさ"だ。
とにかく行動に移せない。そのくせあーだこーだと口ばかりは動く。
いい加減にしろと自分自身思うがなかなか直らない。というより行動できない。
そこまでわかっているならあとは行動するだけだ。わかっている。頭ではわかっている。
しかしそう考えると必ず壁にぶつかる。
「どんな行動したらいいの?」という壁だ。
行動という壁
実は今やりたいことが全くないかというと、そういうわけではない。
今であれば『UXデザイン』の勉強がやりたいことだ。
それ以外にも学びたいことは多くある。
そのために本を読んだりイベントに参加したりすることは行動しているということにならないのか?
確かに形式知よりも実践知のほうが学びとしては深い。
しかし形式知がそもそもなければ、深みのある実践知にもできない。
だから現状が必ずしも間違いだとは思っていない。
これは自分を守るための都合のいい解釈だろうか。
正直結論が出ていない。おそらく一生考えても出ない。
うだうだ考えている暇があったら何か行動しろと自分のケツを蹴りたい。
おそらく、「どんな行動?」とか「やりたいこと」なんて頭で考えているうちには、何もできないし何も生まれないと思う。
しかし私自身が考え込む癖があるのもおそらく治せない。完全に直感で動くなんてこともほとんどできない。
だからまずは目の前にある小さなことからやっていくしかないのかもしれない。
それは今やりたい勉強であり、考えを整理するための"note"を書くことでもある。
私の中では行動という壁を乗り越えるためのきっかけが"note"であり、やりたいことを整理することが私の「note書く理由」だ。
最後に
今回何が書きたかったかというと明確なものは何もない。
モヤモヤしたままが嫌で、思うがままに書いたまた次第だ。
最近note=ブログなるものを書くようになってからあることに気づいた。
それは自分の中に収めておくだけ日記よりも、外に拡散するブログは発言に多少の責任が伴うということだ。
ブログに嘘を書くことはできない。
例えば『遅刻はダメだ』と記事を書けば、遅刻はできない。『多様性を受け入れる』と記事を書けば、自分の世界にしか閉じこもるなんてことはできない。
その記事を書いて拡散した瞬間に自分にはそういうフィルターが他者からかかる。
実際にそんなことはないかもしれないが、少なくとも私がそう感じている以上それには意味がある。
それは行動ができない、自分に甘い私にとってそうせざるを得ない環境に自分を追い込む行為だからだ。
そうやって少しずつ自分を追い込んで追い込んで、行動するしか選択肢をなくして、気づいたら当たり前にするしかないのだと思う。
そんなことを考えながら帰路につくのであった。
本日はこのあたりで終わりにします。
それでは、また次回!