メモから読み取る私の思考変遷
こんにちは!あいでんです。
いや〜、リバプール vs フラメンゴ の試合は熱かったですね。あそこまでの激戦になるとは正直思ってませんでした。
フィルミーノ外しすぎじゃねとかは思いつつ、最後の最後に決めるあたりがスター選手ですね。
おめでとうございます!
▷断捨離してみたら…
延長前半に生まれた値千金のゴールに興奮してしまった私はその後もなかなか寝付けず。
卒論とかやれよって今思えば突っ込みたくなるんですがそんなことが一切頭になかった私は部屋の掃除をすることに。
年末だし、もうそろ卒業だから家を出払わないといけないし。ということで、断捨離に断捨離を行いました。
すると約2年半分の講義ノートやらレジュメやらがたくさん出てきました(一人暮らしを始めたのが2年の後期から)。
見返してみると当時はチンプンカンプンだったものもなんとなく分かる……気がする。
それはさておき、2年の頃と3年の頃、そして今の講義ノートやレジュメを見比べてみると全然違うことに気づきました。
具体的にいえば2年の頃はほとんどが板書。まさにテストを受けるためのメモであり、講義を受けていたというのが一目瞭然です。あと、色ペンをたくさん使っていました。
2年次のメモ
続いて3年。2年の頃と比べると自分が思ったこととかを書いていますが、どちらかというと自分流にわかりやすく言い換えているパターンが多い。つまり、言われたことがわかっていたら改めて自分流に置き換えてメモしている印象。先生の発言などをメモしていることもあるがまだまだ板書中心。
3年次のメモ
最後に4年。この頃に入ると今の原型に近い感じになっていました。まず罫線の入ったノートから白紙のメモ帳に変わっています。しかもボールペンオンリーの単色に。基本的には板書などはしておらず、その時に自分が考えていたことや疑問に思っていたことを中心にメモがされていました。
4年次のメモ
▷メモからわかる思考変遷
この2年半のメモを見返してみると私の思考変遷を読み解くことができます。
2年次は何かを学ぼうというよりもテストで点数を取るために情報を収集しようとしていたのがわかります。ザ・詰め込み型教育ですね。
それが3年次になると様々な経験によって意味がないことに気づき始め、ただの板書を徐々にしなくなったという感じでしょうか。おそらく創Pを通してなんとなくイメージができるものに関してはメモが進んでいるのでしょう。
4年次はブログを始めていたことが一番大きいでしょうか。というよりも、講義やゼミにおいて板書以外でちゃんとメモをするようになったのは実のところ4年次になってから。それまでは自分の頭の中だけでなんとかなるだろうとか甘っちょろいことを考えていました。
きっかけがなんだったのかというと全く覚えてません。むしろ白紙の紙にメモをするのは抵抗すら覚えていました。ただ、結果的には、頭の中で勝手に考えて自己完結する私とそれを形に残してくれるメモは相性がよかった。
どのようなメモの取り方がいいかは人それぞれ違うでしょうが私は今のメモの取り方がしっくりくるし、オススメするとしたらこちらになります。
その理由は自分の思想や疑問などがメモされているからです。ただの板書では誰かの話や調べたら出てくるような言葉しか書かれていません。
これが見返した時に大きな差になります。一方は当時との比較や当時からの思考を引き継ぐことができますし、自分の思考の整理にも役立ちます。一方では理解していることならわざわざ書く必要もありませんし、理解してないことならわざわざ調べるところから始まってしまいます。何がわかっていてわかってないのか、どういう理解をしていたのかなどが皆無です。
思考の構えを作るためにはそのための土壌づくりとして自分の思考や疑問をメモしておく、メモから意識するっていうのも大事なんじゃないかなと思う。
私はメモを取るようになってからそれまで以上に考えを整理できるようになったし、考えを深めることができている。
まさに『メモの魔力』である。
▷おわりに
最後はカッコつけてみましたが、未だに『メモの魔力』は読んだことありません(笑)。
前田社長の本は面白いと聞くのでこの機会に読んでみようかな。
そんな感じでnoteを書いていたら後輩がなんか知らんけどよいしょしてくれてた。
嬉しかったのでシェアしときます(笑)。
こうゆうこと書かれると構えるつもりはないけど先輩として「何か」をゼミや後輩たちに残せているだろうかと感じますね。
それでは、また次回!
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