大学生活最後の講義を終えて…
こんにちは!あいでんです。
今日はキャナルシティに行ったら「エヴァンゲリオン×プロジェクションマッピング×噴水」というなんかすごいことをやっていました。
映画館で見る4D映画のような凄さがありました。テクノロジーの進化はこういうことを可能にするんだなあと改めて感じました。
すごい迫力でした
短い動画ですがこんな感じ
▷今日も今日とて
今日は年明け一発目の大学の講義日であり、ゼミを除けば大学生活最後の講義日でした。寝坊はしてしまいましたが最後なのでしっかり行ってきました。
まあ当然といえば当然かもしれないですけど、まだ終わったっていう感覚はないですね(笑)。
せっかくなので今日は大学生活最後の講義について書き記しておこうかなと思います。
今日の講義を通して表現力が豊かな人間=面白い人間と表現力が乏しい人間=つまらない人間の違いみたいなものがなんなのかを自分なりに考えた。
私の中の結論は「事象と心象を分けることができ、心象を言葉にすることができる」ということが基準ではないかと考えました。
事象とは客観的事実であり、心象とは事象に触れて自分が思ったことや考えたこと、という定義である。
事象と心象を分けるというのはとても重要なことである。定義からわかっていただける通り、事象とは誰が見ても変わらない事実であるのに対し、心象とは人がいればいるだけ多様になる。
これをごっちゃにしてしまうと話がややっこくなってしまったり、噛み合わなくなったり、あっちいったりこっちいったりするので何がなんだかわからなくなる。
簡単なようで難しいことであるが”事象と心象を分ける”というのはとても大事なことだと思う。
では、心象を言葉にするとはどういうことか。
自分が面白いor豊かな人間だと表現するために、意外と自分が経験した何か面白い事象を喋ることでそれをイコールになると考えてしまうが、それは事象が面白いだけであって当人が面白いかどうかは別問題だ。
表現力が豊かな人間は、なぜそういうことになったのか,そこからどういうことを感じたのか,考えたのか、といったところまで喋ることができるように感じる。心象にこそ人の魅力が隠れているからだろうか。
表現力が豊かなことで結果的に話の内容がユニークになり、心象に触れることで面白い人間かどうかを判断することができる。それに対してどう思うかは価値観の問題だ。
心象を言葉にするとは、事象に触れて自分が思ったことや考えたことを相手に伝わるように言語化することを指す。表現力を高めるには国語力を高めないといけないということをnoteに書いたが、こういうところに繋がるんだなと感じた。
表現をするとは、自分の心象を何かの手段を用いで表すことだと思う。
▷まとめ
この講義は「表現力を鍛えるプログラム」という授業であるが、この講義内容を私なりにまとめるとすれば、以下のようになる。
『観察能力×国語力=表現力の豊かさ』
心象を引き出すためには事象に触れる必要があり、事象に触れるから心象を引き出すためには観察することが必要だと思う。また、引き出した内在的な心象を表層化するためには国語力が必要だと思う。
最後に担当教員であるTM先生がとある話をしてくださった。以下はTM先生がFacebookに投稿していた内容の抜粋である。
教育論?では有名な実証実験がある。あるクラスや講義を担当する教員に「あなたのクラス、講義には非常に優秀な生徒・学生がいます、彼と彼女です」と伝えると、その彼と彼女は優秀な生徒・学生として成長する。
この実証実験の肝は、優秀だと伝えられる生徒・学生はランダムに選んでも結果は変わらないことだ。教員側がある生徒・学生が優秀だとみなせば、その予想通りに、当該生徒・学生は優秀な生徒・学生になる。…
…アイコンタクトを含め、学生が働きかけることによって、教員はその学生を特別視するようになる。その関係を築くことで、教員はその学生の表情や身振りをサインに講義の進め方を工夫し変える。200人の受講生の講義がその一人の学生のためにカスタマイズされるのだ。当該学生が優秀な学生になるのは必然となる。教員を個人教授とできるのだから。
今回の私のまとめでは「言葉にすること」を中心として表現力とは何かについて展開をしていったが、本来であれば表情や目の動き、身振り手振り、音や絵画などといった広義的な意味であるはずだ。
このお話はまさにそういうのを含めた広義的な表現力が豊かであることの一つのメリットを指し示しているように思う。逆にいえば表現力が乏しいだけで損していることがあるのかもしれない。
しかし、私個人的には一番伝わりやすい表現方法は言葉にすることであると考えているし、私に一番適している表現方法も言葉にすることであると考えている。
これからも言葉による表現力は高めていきたい。
表現力、侮りがたしといったところである。
▷おわりに
友達がおらず自分の興味のある内容だけを積極的に受講していた一年生時代、知り合いが増え楽単と呼ばれるものに手を出したり,ピ逃げを覚えた二年生時代、学ぶことに意欲が再び出だした三年生時代、どの時間も楽しかった四年生時代。
紆余曲折(?)ありましたがこれにて大学生活の講義は終わりとなりました(留年しなければ)。
なんやねんこれという感じた授業もあれば、ひたすらに面白いと感じた授業もあれば、なんだこれと頭を悩ませた経営学総論…もありました。受講しておけば良かったと後悔した授業もありましたが、これにて終了です。
一年生の頃からもっと真面目に受講しておけば良かったと今更ながらに思いますけれども、それを差し引きしてもとても学びのある4年間の講義でした。
諸先生方、ありがとうございました。
それでは、また次回!
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