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流行に乗り遅れなくなった。その反面。

最近、流行歌をよく聞いています。

優里の『ベテルギウス』や藤井風の『きらり』、Da-iCEの『CITRUS』など。もっと流行に敏感な人は「もう一昔前の曲だよ」と思うかもしれませんが、以前の私はもっと流行に疎かったのです。

カラオケに行っても昔聞いたことのある曲や歌ったことのある曲を同じように歌うだけで情報をアップデートしてこなかったかつての私に比べれば、流行に対してアンテナを張るようになったなと思っています。

それはひとえに、サブスクリプションサービスを活用し始めたおかげでしょう。spotifyなどのサブスクサービスがかなり浸透して音楽や映画などはとても身近なものになったのだと感じます。

流行のものはすぐにトピックに上がり、昔のものも配信していれば楽しむことができる。気になっていたものにすぐに手を出せる素晴らしい時代になったのだと感じます。

ただその反面、数多くのものに触れる時代だからこそ、流行は膨大なものなのだと感じる時があります。

「10年前に流行ったもの」ひとつとってもそれは音楽なのか、映画なのか。そのカテゴリ内でもジャンルによって流行っていたものはたくさんあります。流行った曲という話題に絞っても、2012年に流行ったのは嵐の『ワイルドアットハート』だという人もいれば、西野カナの『たとえ どんなに…』だという人もいるでしょう。

流行を一つ知ってもほかの流行はほとんど同時に動いているし、自分が流行だと思っているものも他では流行と思われていないのかもしれない。

娯楽の多様化がさらに加速する現代で、流行などというものは実は個人の尺度で測られる程度のものなのかもしれません。流行りのものに乗っかる生き方ではなく、自分でいいと思ったものをずっと追い続けることが今の生き方なのか。

このように書くと流行りのものに飛びつくような生き方が悪のようですが、そういいたいわけではありません。むしろその逆です。

自分がイイと思ったなら流行りのものでもそうでなくてもいい、と思える時代が今なのだと思います。娯楽が多岐にわたっているからこそ他人の流行を気にせずに、自分の流行を正直に楽しめるのだと。

冒頭で挙げた3曲は、初めは「流行っているから」聞き始めたものでした。それは今では「自分が好きだから」聞き続けています。そのように自分が本当に好きになったものはずっと覚えているものなのでしょう。

それこそ、時代がさらに進んだ後に「昔聞いたことのある曲」や「歌ったことのある曲」になっているのでしょう。

それはそれとして、膨大な情報の海に溺れるのも悪くはないと思っています。今の時代の娯楽を楽しみ、新しい娯楽を見つけるために。

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