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ゴミが語る人生

断捨離という言葉と概念が世の中にすっかり定着した。

断捨離出来る人は、過去や物に執着しない潔い人。

出来ない人は未練がましい決断力に欠ける人。

そんなイメージ。


捨てられない人の成れの果て。
それはゴミ屋敷で暮らす人。
敷地内から溢れ出すゴミ。
異臭。
もはや迷惑を超えて公害である。

美しく着飾った女性でも
片付けられない病に罹って、
テレビ番組の企画でゴミを捨ててもらう人がいる。

大切な物に囲まれて暮らすというより、カップ麺や弁当がらなどに埋もれて暮らす部屋。
毎週やるべきゴミ捨てを怠った、ただのナマケモノか。
そうでなければ深刻な心の病いなのか。



この年になると、本気で終活を考えなければならない。


人生100年時代、まだまだ時間はあると思っても油断できない。

まともな判断ができるうちに。

始めるなら
今でしょ⁉︎

重い腰をあげようと思う。
今のところ思うだけ。

そんな時出会ったのがこの本。

『捨てない生き方』 五木寛之


迷っていたけれど結局買いました。
意外に薄くてスカスカでした。
(内容ではなく、活字が)
でも活字が大きい方が有難い。
一気に読めました。


断捨離するのが当たり前という風潮に一石を投じています。


人間が生きた証、思い出をそんなに簡単に手放してよいのか。

モノにかこまれているということは、
じつは〈記憶〉とともに生きているということなのです。
モノは記憶を呼び覚ます装置です。


五木さんが捨てないと言っているのは、なにも現物だけではありません。

人との縁も捨てない。
いったん始めた仕事も捨てない。
書く力があるあいだは書き続ける。
命ある限りは生き続ける。
モノが捨てられないのは、確かに執着のせいでしょう。では、その執着はどこからくるのか。それは、生きているからではないのか。

 人は裸で生まれてきて、ゴミに囲まれて死んでいくーーそういうものではないでしょうか。
 記憶と言う自分が生きてきた証、また時代という歴史の記憶さえ呼び出してくれるモノたちに囲まれて過ごす人生は、とても豊かなもののように思います。私たちの後半生は、芳醇な回想の時代であり、黄金の時代なのです。

あとがきより



ひとりの人が死に、
その人が生きた証【遺品】の中に、
多少の価値があり、遺産と呼べるものがあるのか。
それともただのガラクタだけなのか。


おばあちゃん、こんな派手な服着てたんだね。

スリムだったんだね。

へぇ、こんな本読んでたの。

アルバムの写真
若いね。

あれ?おじいちゃんと文通してたんだ。

みんなでハハハと笑いながら見たあとは、


お手数ですが、このゴミの山、
捨ててもらって結構です。


あとのことは、生きている人に
お任せしましょう。



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