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日本の学習障害理解の歴史

私は、第二次ベビーブームの、その子ども世代。
人数が多いため受験倍率も高く、高校も大学も狭き門をくぐって入学。
そんな頃、バブルまではじけて就職も困難になった。

教員の採用人数もググッと狭くなり、私は新卒で教員になれなかった。
(同じ年の、ある有名局アナは「高校の教員になりたかったけれど倍率が高かったので諦めてテレビ局を受けた」と言っていた。そんな採り方してるから、今になって教員不足だとか言うことになるのだ…と、若き日の自分を憐れんで毒吐いたりする)

講師を経験して教員になったのは26歳。
1999年のことである。

その時の学年主任は女性で、酒豪であり、豪胆な人だった。
その主任の車に乗せてもらった時、助手席にある本が置いてあった。

『学習障害』

当時、発達障害という言葉はあまり知られておらず、よく調べてみると、日本で1995年に我が国初のLDの定義が示され、学習障害の指導体制モデルが示されたのは1999年だという。

あの豪胆な学年主任は、現場の課題と教育界の流れを掴みながらしっかりと学年経営してみえたのだと、20年以上経った今でも感服する。

さて、ここで世界的な視点で発達障害についての歴史を。

知的発達の遅れがないにもかかわらず読み書きや算数など教科学習に著しい困難を示すLD(Learning Disabilities:学習障害)は、本来は教育的な概念で、用語が初めて使用されたのは1963年のことである。その後、LDという言葉は、世界的に知られるようになった。

一方、日本では、なんと1980年代まで、LDの存在は認知されていなかった。1990年代に入って、全国LD親の会が結成されたり日本LD学会が創設されたりして、ようやくLD支援の必要性が認知され始めた。

ADHDや高機能自閉症、アスペルガー症候群などの名称も教育関係者には知られておらず、「LDとその周辺の子ども達」と称される状態だった。

私は、1974年(昭和49年)生まれである。
アメリカでは、私が生まれる10年以上前からLDに対する理解がなされていたのに対し、日本では、私が高校生になる頃にやっとLDが認知され始めたということだ。

自分の小学校・中学校時代を思い返しながら、あの頃の子ども達にも今のようにLDについての理解があれば、勉強が苦手だ、できない、と片付けられずに済んだかもしれない。

「どうしたら読み書きがしやすくなるか」「計算を間違えずに済むか」と教師や大人が支援することで、勉強が嫌にならずに済んだ子が増えたかもしれない。

そう考えると、教育を考える視野は日本を捉えるのみならず、世界全体を見渡して、先に進む研究や提言があれば追随するべきだと考える。

今、私の周りには、海外の教育に目を向け、そのシステムや指導法を学んでいる仲間がたくさんいる。

世界の情報が手に入りやすい現代の私達は、自分の目の前の子ども達に特別支援教育のみならず「今出来得る限りの教育と支援」を行っていく必要がある。

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