善知鳥安方の考察
青森市にある善知鳥神社は、藤原定家や西行が和歌を残し、能、猿楽、浄瑠璃、歌舞伎などにも演じられる、謡曲「善知鳥」の地です。
長い年月の中で、創作や尾ヒレ、えひれがくっついて、善知鳥神社や善知鳥については、なりたちや文化自体がぐちゃくちゃに解らなくなっています。
一つずつ、自分自身も今回整理していきたい。
まず、善知鳥(ウトウ)という鳥は存在します。
ウトウは卵を一つだけ産むそうです。
そして、雄鶏と雌鳥が協力して卵を孵化させ、餌を運び、雛を育てます。
この事から、夫婦つがいの象徴とされていると推察します。
次に善知鳥神社の創建・縁起です。
善知鳥神社の祭神は、宗像三女神。
あの女神御三方。九州福岡の宗像大社の神様。
宗像三女神は、アマテラスとスサノオが国譲りをした時に産まれた女神で、道の標を示す神です。奥州街道最終地及び陸の奥に、道標の神が鎮座します。
宗像三女神が祀られてるなんて、出雲から敦賀、越、十三湊を経て、古代からの北前船がかなり影響してます。
きっと。
允恭天皇の時代に、この地に来た善知鳥中納言安方が北国を平定して祭った。その後坂上田村麻呂が再建ってなってます。
流石に允恭天皇の時代(376年〜453年)には、中納言なんて官位制度、冠位12階以前にないやろ〜とツッコミたくなります。
これは、後世の創作、こじつけですよね。
でも、創作やこじつけが悪いのではありません。その伝聞の集合体が真実になっていくからです。
まずは、この善知鳥と神社の由緒を踏まえて……
考察に入りたい。
「謡曲 善知鳥」は僧が、陸奥国へ行く途中に、立山(富山)で1人の老人と出会います。その老人は陸奥国の外ヶ浜に自分の妻と子供がいるから、蓑笠を手向けて弔いをして欲しいと僧に依頼します。
この老人は外ヶ浜の猟師で、既に昨年死んでおり、亡霊として僧に頼み事をします。僧は懇ろに断りますが、妻と子供が信じれるようにと、着ていた着物の片袖を剥ぎ僧に証拠として渡し、再度依頼して消えていきます。
外ヶ浜についた僧は猟師の妻子の家を訪ねます。その家にあった猟師の着物は片袖がなく、僧が持ってきた片袖がぴったりと合います。
蓑笠を手向け、僧が猟師を弔っていると、猟師の亡霊が現れ、猟師は生前、善知鳥をはじめ鳥獣を捕獲し、殺し続けた罪により苦しんでいることを明かします。
地獄で善知鳥の化鳥に責苦を゙負わされ苦しんでいる、そうしなければ生きて行けなかった哀しい自分の人生を嘆き助けてくれと頼みます。
これが謡曲「善知鳥」の内容です。
またウトウという鳥は親鳥が「うとう」と鳴くと、茂みに隠れていた子の鳥が「やすかた」と鳴いて場所を知らせるといわれ、その習性を利用して、猟師は子の鳥を捕獲していた。
雛鳥を捕獲された親鳥は悲しみのあまり、血の涙を雨の様に流したとの事で、猟には蓑笠が必須とされた。
故に、小倉百人一首を゙編纂した藤原定家の詩にて
「陸奥の外の浜なる呼子鳥
鳴くなる声はうとうやすかた」
は、そのまま直訳すれば、
陸奥国の外ヶ浜で、呼子に引っかかる鳥が鳴いたのは、「うとう」「やすかた」だねー
っとなるのだが、こんなこと詩にしたって
「はぁ?」となるだけである。
呼子というのは、田畑が鳥や獣に荒らされない様に、糸に引っかかるとカタカタ……と板がなる仕組みのことなのだが………さっぱり
「うとうやすかた」は歌枕。
親子の情や殺生をした、
念を゙表す言葉でないかと推測する。
死ぬ時は、親子の情や殺生をした罪の念を゙どうにかしていけよ!って詠んだのだろう。
だからこそ、現代でも能 「善知鳥」が演じられ神社で奉納されているのであるとおもう。
たぶん
西行の詩はどうか?
「子を思う 涙の雨の 笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥」
これは、猟師も子を思い生きるために殺生し、血の涙雨が笠の上に降り注いでも、やりきれなく辛い 子の鳥も猟師も……という意味かな?と
解釈する。
たぶん
善知鳥安方が何故
親子や殺生の念を゙表す事になったのか?
善知鳥中納言藤原安方は実在するようだ。
前九年の役で安倍貞任に仕えた忠臣らしい。
https://www.town.shiwa.iwate.jp/kanko/rekishi/1/1834.html/
その忠臣ぶりと親子の情念による話は、
他の謡曲で「安達が原」として
今でも残っている。
前九年の役で敗れた、蝦夷の安倍貞任の遺児を助けて、烏頭中納言藤原安方は北方に逃れた伝説もあるらしい。
謡曲や和歌が後世に伝えたいメッセージは何なのか………全く解らない。