【ひよわな校長の処方箋66】いろんな教師がいるからいい
この教師はダメだという決めつけは悪循環しか生まない。それはその教師をいっそう荒んだ気持ちにさせ、周囲との関係をいっそう困難にしてゆく。
ある教師Aさんに対して、同僚の教師Bさんがそんな思いを持っていたとしよう。「Aさんは、生徒との関係が普通に作れないし、授業もいつも騒がしくて、ほとんど崩壊している。もうAさんは教師として不適格ではないのか」そんなことを他の同僚と話していたりする。話された同僚も否定はしない。そのうち校長のところにくる。「Aさんをなんとかしてください」
校長はそれらの不満をまず全部受けとる。人は受けとってもらうと、相手のことを受けとる余裕ができる。校長が見てきたAさんの仕事ぶり、これまでAさんと対話してきた内容、今の校長の思いなどを聞いてもらうことができる。
もちろんそのためには、普段からAさんの仕事ぶりを見て、Aさんと対話をし、Aさん自身の困り感や思いを受けとっていなくてはならない。もしAさんについてそこまでの把握や対話ができていなければ、Bさんには、これからAさんを見ていくこと、Aさんと話していくことを約束する。後日、またBさんと話して、Aさんの困り感や思いを伝え、校長の思いを話す。
最初から向上心を持っていない人はいない。Aさんだって困っているのである。「困った子は、困っている子」というのは児童生徒指導でよく教師が口にする言葉だ。大人だって同じ。
教員はチーム。困っている者がいれば助ける。まず一緒に話して困り感を受けとる。相談に乗る。できることをお互いに探る。これらは学級経営と同じである。
Bさんの苦情に対してそこまで話せれば、例えばAさんの学級経営について、ケース会議のようにAさんも同席して「お互いのできること探し」の時間を設けることができる。そのとき、いきなり学級をどうするかではなく、学級の中で特に気になる子どもを取り上げて、その子の指導をどうしていくかというテーマで対話すると具体が見えやすい。
こうして次の日からそれぞれが具体的に関わる行動を起こす。
学校にはいろんな大人がいていい。むしろ子どものためにはいろんな大人がいることが必要だ。中学校は教科担任制で、いろんな教師に接することができるが、小学校も学級担任の授業に相互介入したりしながら関わりを増やす。
そして教師同士も、いろんな同僚がいた方が活性化される。集団は多様な方が自然なのだ。
これも学級経営と同じである。
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