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高校、大学の校訓を振り返る

高校は私立の仏教系。大学は私立のキリスト教系の学校でした。

うちは多くの日本の家庭がそうであるように、神社にお参りに行くし、仏壇はあるし、クリスマスにはケーキを食べるような家庭です。ある特定の宗教を熱心に信仰しているというわけではありません。

高校、大学と宗教教育を行っている学校に通いましたが、「宗教」という部分はあまり深く考えずに進路選択をしました。


高校は月曜から土曜まで毎日朝礼があります。朝礼での校長先生のお話の前には、般若心経を唱えます。朝礼以外でも何か行事があるときにはお経を唱えます。運動会の開会式、学年集会、修学旅行先などなど。

おそらく年間300回ほどの読経をしていたはずです。読経の際は、生徒手帳に記載されている般若心経を見ながら唱えます。なので常に生徒手帳を携帯していなければいけません。生徒手帳不携帯は校則違反です。
見ながら唱えると言っても、入学当初はよく見失うことがありました。今どこまで読んだのか分からず、途中からは適当に口パクです。しかし毎日唱えていると半年もすれば自然と覚えます。

三つ子の魂云々とは言いますが、高校3年間の継続の力は凄まじいもので、今でも般若心経はそらんじることできます。(途中少し怪しいかもしれないですが)

良くも悪くも時代遅れな校則がたくさん残っている学校です。

そんな高校の校訓のひとつは「自利利他」です。「自らの仏道修行により得た功徳を、自分が受け取るとともに、他のためにも仏法の利益をはかる」という仏教用語からきています。

高校生当時は「またその話か」と思うほどに毎日の朝礼で聞かされていました。


大学はキリスト教系の学校です。
1年生のときは「キリスト教学」という授業が必修となっていました。1限目と2限目の間には、チャペルアワーという時間があり、学部ごとに礼拝を行っており、キリスト教学の受講者は週2回の礼拝への参加は義務となります。

讃美歌を歌い、聖書の一節を朗読し、その後宗教主事の先生からのお話です。宗教的に教訓のある話のときもありましたが、「大学の沿革」や「スクールモットー」を話されることも少なくありませんでした。(うちの大学は、校訓のことをスクールモットーと呼んでいます)

「Mastery for Service 」と言うのがスクールモットーです。「奉仕のための練達」と訳されます。「人々に奉仕できる、社会に役立つ知識と人間性を、自らの主体性を持って磨き上げよ!」ということです。

(話は逸れますが、出身大学の校訓というのは普通皆さん知っているものなのでしょうか。朝礼や全校集会のない大学では、建学の精神に触れるのは入学式と卒業式くらいな気がしますが。うちの大学ではチャペルアワーがその位置付けだったようです。ちなみに私は、大学の校歌は入学・卒業の2回のみしか歌ったことがありません。運動部に所属していた人は、度々歌っていたようです)


「自利利他」と「Mastery for Service 」
それぞれの学校は無関係ですが、考え方の似た「教え」です。在籍していた当時はあまり深く考えることのなかった校訓(スクールモットー)が、歳を重ねるごとに、じわじわと効いてきている気がします。
何のために自分自身を磨くのか、教育に関わる仕事をしているからこそ、定期的に振り返っていきたいです。

かず

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