翻訳のために、茶道と着付けを習う
茶道について書かれたエッセイを、ロシア語に翻訳しようと思い立ちました(翻訳の経緯については、別途あらためて書きます)。
正確に翻訳するにはまず、対象をよく知らねばなりません。普段はネットや専門書で調べて済ませることも多いのですが、茶道には以前から興味があったので、知人に紹介してもらった裏千家の茶道教室に入門し、月2回稽古に通い始めたのが一昨年(2023年)12月。あれから、はや一年になります。
習い始めてみると、お点前は一つ覚えれば良いというものではなく、上級に行くに従って、より複雑なお点前を習い、できるようになったら免状をもらうシステムになっていることがわかりました。
そして、もう一つわかったことは、茶道は、茶道だけで独立しているわけではないということ。
茶道は、茶花と呼ばれる生け花や、花入や茶器などの道具、お菓子、掛け軸に書かれた書や絵などと、深く結びついています。茶道を学ぼうとすると、自然にそうした関連の世界についても学ぶ必要が出てくるのです。
毎回、稽古に行くたびに、床の間の花入に先生が入れた花の名前、花入のタイプ、掛け軸の書の読み上げや由来の説明があります。季節に応じて飾る花や書が大体決まっているようで、1年で季節が一巡したこれからは、私も、花や花入のタイプを言い当てたり、書を読み上げたりしなければなりません。
そして、何より、茶道の世界の正装は着物。どんな豪華なドレスより、質素な着物の方が格上なのです。素敵に着物を着こなしている先輩方を見ているうちに、「普段のお稽古は洋服でも、せめて節目節目には着物を着たい」と思うようになりました。
先生も「私も雑誌の見よう見まねで、自己流で着付けを覚えたのよ。教室に生徒さんが置いて行った不要な着物や帯がたくさんあるから、どれでも好きなのを持って行きなさい。みなさん無料の着付け教室に数回通って、着られるようになってるわよ」と勧めてくださるので、お正月明けの初釜に着物で参加することを目標に、着付けを習うことにしました。
無料の着付け教室に何度か通い、その後はそこで知り合った生徒さんたちと一緒に、レンタルスペースを借りて着付けの自主練。このお正月、実家に帰省中に何度か自分一人で着る練習をしたので、数日後に迫った初釜には、なんとか自分で着物を着て参加できそうです。
実家にいる間に、母から、60年前に母がお嫁入り道具に持ってきた着物を何枚か譲ってもらいました。結婚して何度かは着たものの、その後ずっと箪笥の肥やしだったとのこと。処分できないまま60年間毎年虫干しを続けてくれていたおかげか、どの着物も比較的良い状態です。背格好も大体同じ私が着ると、あつらえたようにピッタリ。母が喜んでくれたのを見て、呉服関係の仕事をしていた亡父が生きているうちに着たら、どんなにか喜んだだろうと少々後悔しました。
そんなこんなで、翻訳の方は今年の秋にロシアの出版社からの刊行に向けて、鋭意進めているのですが、翻訳の作業をする時間を削って、茶道や着付けに一生懸命になっている自分にふと気付き、苦笑する日々です。
通訳翻訳者に実地体験は必要なのでしょうか?
あるに越したことはないけれど、必ずしも必要ではないでしょう。でもまぁ、翻訳を始めなければ、きっと一生ご縁のなかった世界に、足を踏み入れることができたのだから、それはそれで面白い展開。
出版記念パーティーがあったら、着物でお茶を点ててみようかと、取らぬ狸の皮算用をしています。