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「大好きだった先輩」と「生活者発想」

初任で配属されたのはプラニング局で、
あてがわれた商材はインスタント袋麵だった。
「野菜がいっぱい食べられる」という訴求から「家族のためにひと手間加える余地がある」と捉え直した大規模なリブランディングプロジェクトを、先輩方と共に担当していた。

先輩方の中で、とりわけ仲良くなった人がいた。
年次の近い、営業の方だった。
その人は、当時のペーペーだった僕から見ても物凄く仕事ができ、チームの中心人物だった(と、思う)。
ただ非常に気さくな方で、自宅が同じ方向だったことも手伝って、仕事終わりによく食事をしながら、会社のことを中心に(ほとんどは文句だったりを)、ダラダラと聞いてもらったりしていた。

ある日のこと。

「家族に袋麵を使うことに罪悪感を感じていたが、あのCMでその罪悪感が払拭されました」
とのお客様からの温かいメールが客相に届いたと、
得意先が感謝と共に教えてくれた。
いつもの居酒屋で、そのことを2人で「良かったですね」と、
喜び合っていた。

その時、先輩は「私は、家族の仕事がしたかった」と言った。
そして、「だから嬉しいし、だから頑張れた」と続けた。

理由を問い質すことが職能としての性分だったこともあり、
僕は「それはなぜですか?」と聞いてしまった。

沈黙。

そして、暗くならずに聞いてほしい、
というエクスキューズの後に先輩は話した。

弟が高校生の頃にマンションから転落する事故があったこと。
一命は取り留めたものの、一年半ほどの入院生活を余儀なくされ、
足に障害を負ったこと。
その事故により、家族がバラバラになってしまったこと。
そしてバラバラになった家族を一つにするために苦慮したこと。

家族が家族であることを維持することは大変であること。
だからこそ、家族の絆を強めることを仕事にしたいと思っていると、
話してくれた。

衝撃だった。

突然の告白に自分の想像力の貧弱さを突きつけられながら、
その先輩の馬力の源泉を知った。
なるほど。どおりで。どおりで、この先輩は凄いワケだ。

僕は、生活者発想について、思いを馳せる。

生活者を深く洞察することも、確かに生活者発想なのかもしれない。
でもそれ以上に、「こうあってほしい」という願いや「こうしたい」と抱く使命を、一人の生活者として強く胸に持ちながら、業務に対峙することこそが、生活者発想なのかもしれない。
そして、その生活者としての願いや使命が、目の前の業務とバッチっとハマったときに、とんでもないパワーを発揮するのだと思う。

その袋麵の業務は、その年の社内の業務大賞と社長賞を取った。

その年末に、ひょんなことから、先輩の実家に遊びに行かせてもらったことがある。

先輩家族は、僕を快く受け入れてくださり、牡蠣鍋と自家製のパンをご馳走していただいた。まじで美味かった。
その先輩のかつての苦慮を微塵も感じさせない、(そのままTVCMにできるぐらい)温かい家族の食卓だった。

もうその先輩はこの会社をやめて、
自身の使命をこの会社以上に全うできる会社にいってしまったが、
あのメンバーで、あの業務をできたことは、本当に誇りに思う。
本当にありがたい。ありがとうございました。

また素敵なメンバーと、素敵な業務に巡り合えたらいいな。
いや、きっと巡り合えると思う。くぅーー。
これだがら、社会人はやめられない。

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