全ての教育は「洗脳」
こんにちは!
今日はいきなり怖いことを言い始めます。笑
店頭で見たこともあるかもしれませんが、堀江貴文さんの『全ての教育は「洗脳」である」という本。の紹介ではありません。笑
もちろん読ませていただいたのですが、読んだのは何年も前のことで実は内容はほとんど覚えていないです。(すみません💦)
ですが、このタイトルがとても印象的で、その当時からずっと大切にしている言葉なのでぜひ紹介させてください。
『全ての教育は「洗脳」である』と言われて、どう思いますか?
「洗脳」
強烈なイメージの言葉ですよね。
そんな自分の考えを押し付けたりしてないし、
正しいことを教えてるんだから悪いイメージにしないでほしい。
そんなふうに思う方もいるかもしれません。
しかし、僕はこの言葉をとても大事な戒めとして常に持っていようと思ってます。
「正しい」って何?
例えば、
「友達には優しくしましょう」
「みんなと仲良くしましょう」
「相手を傷つけてはいけません」
といった道徳的な発言、当たり前ですよね。
当然のことであり、正しいことのように感じます。
でも、上記のどれも
環境や時代、所属する集団によっては正しいこととは言えなくなります。
「友達には優しくしましょう」
→そんなこと言ってたら国によっては騙されてしまいます。
「みんなと仲良くしましょう」
→1人でいることは正しくないのでしょうか。
「相手を傷つけてはいけません」
→戦時中にそんなことを言ってたら反逆罪かも。
少し突飛な意見に聞こえるかもしれませんが、
僕はこの世に絶対の「正義」というものはないと思うようにしています。
「正しい」は常に僕だけのもの
絶対の「正義」がないのだとしたら、
色々な環境や背景によって「正しい」が変わるのだとしたら、
そう考えると自分の考えを相手に伝えるときには注意が必要です。
なぜなら相手も同じように自分の「正しい」に従って行動しているだけな可能性があるから。
教育者として何かを伝えようとするときにも
同じように注意が必要になってきます。
僕は、自分が考えるこれが「正しい」と思うことを相手に伝えるとき、
同時にこれは絶対の正義ではないと頭の片隅に入れておきくように心がけてます。
教育は洗脳か?
さて、話を戻しましょう。
教育は洗脳かどうかという話ですが、
そもそも「洗脳」とは何でしょう?
「洗脳」というと日本ではやはり「宗教」というイメージがついてきます。
そして宗教は何かといいイメージを持たれない傾向があるのではないでしょうか?(オウム真理教と地下鉄サリン事件が関係しているという方もいます。)
そのせいか洗脳という単語に過剰に悪いイメージがある傾向にあるかと思います。
「洗脳」という言葉を調べると以下のように出てきます。
”ある人の主義・主張や考え方を根本的に変えさせること。”
こうやってみると教師が普段からしている道徳教育や生活指導も一種の「洗脳」のように思えませんか?
もし、僕自身が教育は洗脳ではないと言ったとしたら、
それは相手に「自分の正しいを伝えている」のではなく
「不変のルールだから守ってね」と言っているような気がしてしまうのです。
ですが、上で書いたように、僕は「正しい」を不変のものだとは思っていません。
だから、自分が何かを相手に伝えるとき、
相手に新しい考え方や行動を取り入れてほしいと思ったとき、
それは必ず「洗脳」だと思って行うようにしています。
そして、
だからこそ、本当に自分が大切だと思うことをちゃんと伝えられるように心がけていきたいです。(日々精進ですね、、)
終わりに
今回、たまたま書店で堀江さんの本を見かけて、
改めて自分の考えを整理する意味も込めて
この記事を書いてみました。
書いてく過程で、
自分の発言や行動を振り返ることが多く、
教育者としての責任みたいなものを考えさせられました。
みなさんももしよければ
この機会に自分の教育観について改めて考えてみてはいかがでしょうか?
そしてよろしければ
みなさんが大事にしている言葉をコメント欄で教えていただけると嬉しいです!!