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それって本当に「子どものため」?

「子どものため」
ってすっごく難しい。


”子どものために
 こうした方がいい”


学校に行かない選択をしたりすると
周りの人から
そういうことを言われる事があります。

その度にもやつきます。


これは親である私の話。


子ども側はどうか?


大人からの忠告とか
大人の良かれと思って って


子どもにとってどうなの?


子どもだった頃のことを思い出すと
私は、ですけど、

ものすごい苦しいものだった。


私の話は聞いてもらえないんだ。
私の意見は軽いものとみなされるんだ。


そんな言葉が浮かぶ。


すごい小さい話ですけど

ミキハウスの服は
いい服なんだよ〜
と着せられていたけど

自分の好きな服着たいな
でも嫌って言いづらい
って思っていたことを思い出す・・・



何をするにも
大人の考えが介入してくる感じ

すごく胸がざわつきます。

家でも、学校でも、

大人が言ってることが正しいと
思っていたけど

今になってわかる。


子どもには
子どもの思いや主張があるのに

それを無視して
時には軽視して

大人の都合で
大人の見方で考えているよねって。



かくいう私も

教員としてやってしまっていました。
親としてもやってしまっていました。


そんな中、

娘が学校に行きづらくなり
娘の言葉を聞くようになり

その言葉を大人が受け取る場面になると
あの何とも言えないざわつきが再現されました。


子どもの言葉は軽視される
大人の都合で決められる


それがどれだけつらいことか
蘇ってきました。



子どもはこうやって
誰にも気づかれずに傷ついて

自分の言葉を飲み込んだり
自分の想いをなかったことにしたり

愛されたいから
嫌われたくないから

自分が何も言わなければ
事が穏便におさまると思って
受け入れちゃうことだってある。


そんなこと
子どもにさせたい人はいないと思う。


だけど
知らないでしてしまうことって
往々にしてあるのです。



教育の活動をする中で

子どもを真ん中に
子どもファーストで
子どもの声を聞いて

これらの言葉を
使ってきていましたが

やっとその真意がわかった気がします。


私たちはいつでも
自分のフィルターで

ものを見ます。
考えます。
答えを出します。


良かれ、なんです。
子どものためを思ってのことなんです。


でも、本当にそれは子どものためなのか?

いつも、そう自分に問い掛けたい。



大人になった今だって
その痛みって残ってるんですよ。

大人の力って、影響力って
そのくらい強いんですよ。


だとしたら、
この大人の力を何に使うか?


子どもたちを真に幸せにするために
私は使いたい。



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