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「自分じゃない誰か」をまとってしまう心地悪さ。

「自分」として生きているのに、
「自分じゃない誰か」をまとっているような

違和感って、感じたことないですか?


つい相手の意見に合わせてしまう
全然楽しくないのに愛想笑いしてしまう
本当の気持ちじゃないことを言ってしまう

自分じゃない自分でいる感じ
ものすごく違和感だしモヤモヤするし

相手にも自分にも嘘をついている感じが
なんとも心地悪い。


いい人ぶるとか
キャラを演じるとか
そういう軽い感じではなくて

自分のありのままを表現することに対して
とっても自信がなかった私。

教師というなかなか気を抜けない職業だった
というのもあったと思う。


仮面をかぶってるどころか
分厚い鎧をたっぷり着ていて

そんな重い体で神経張り巡らせて
全部にいい対応をしようとがんばって

ものすごーく消耗する生き方をしていました。


完璧じゃなくていい、ってよく言われるけど、
私にとってそれって難しくて。

どうしても抜けがないようにって
がんばってしまう性分。



そんな私が

完璧を手放そうとか
ゆとりをもとうとか
身軽になろうとか

言われても

なかなかできなくて
できない自分がまた嫌になって

余計に消耗します。

似たようなタイプの人は
手放そうとしない方がいいです。


いきなり全部を脱ぎ捨てようと思わないで

まず整理するんです。


今自分がやってること、言ってることは

自分じゃない自分だった?
本当の自分でいられた?

仕分けることからでいいと思うんです。

いわゆる「気づく」ことから。


自分じゃない自分を表現しちゃった場合、

たぶん不快感があると思う。
もしくは違和感。


まあね
職員会議とか保護者対応とか
忙しい時の子どもへの接し方とか
価値観が合わない人とのやりとりとか

数えきれないほどあると思います。

自分じゃない誰かにならないと
やっていられないときもある。仕方ない。


でも、

子どもにはこういう言い方したくなかったな
本当はこういうこと伝えたいんだよな
本当はこういう先生で、親でありたいんだよな


本当はこうしたくない
本当はこうしたかった 

が見えてくる

芯にある思いが出てくる


この「気づき」こそが大事!


まあ仕方ないよねで
「流せるもの」と

ここは譲れない
「流せないもの」がある。


この「流せないもの」に気づけるかどうか。


譲れない
流せない
大切にしたいものを
流す=ないがしろにしてしまうと

やってることが無意味に思えてきます。

やってもやっても何も得られず
疲れだけ残る。

心は重たくなっていく。

そんな状態では仕事は続けられません。


「これだけは」という大切なものをしっかり握る


これが私を救ってくれました。


私にとって手放すことは難しかったけれど
こちらの方が楽にできました。



手放したいものなんて
いっぱいあります。

でもそれを精査していたら
ものすごい時間がかかるし

それこそ大切なものが
手からこぼれ落ちてしまう。

なので

自分にとって譲れないもの
大切なものを握って

そしてそれに対してエネルギーを使う。


そっちの方が
幸せへの近道な気がしています。


大切なものを握っていれば
それ以外は自然と放れていきますしね。

大切なものを大切にできているので
充実感にもつながっていきます。



仕事や子育てで
違和感やもやもやするのって

本当は大切にしたいものがあって
それを大切にできていない

そういう時なんじゃないかと思うんです。


もちろん環境という面もあるけれど
自分の側でできることもある。

自分に嘘をつかず
ごまかさず

本当に大切にしたいものを
ちゃんと大切にできる自分でいよう。





心と一致した人生をつくろう

本当にやりたかった生き方、働き方を見つけ
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