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自己紹介

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私、kazukiの自己紹介記事
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改めまして自己紹介

教育の活動をやっていて 自分の講座をやっていて 私は何者なのか、改めて自己紹介します! 宮尾多希(かずき) 1982年群馬県桐生市生まれ 小学生2人の母 埼玉大学教育学部卒業後、小学校教員として14年勤務 幼い頃から活発でなんでもやりたがり。 勉強も運動もよくできて、何かと代表に選ばれ活躍していた。 自信はある反面、 人様にみじめに思われてはならないって観念が強く 失敗しないように、バカにされないように 都合の悪いことは隠すように生きてきた。 教員になってからは特に

教育を「より良く」〜息子の宿題から思うこと〜

小1の息子、音読の宿題。 「どうぶつの赤ちゃん」 発達段階的に、まだスラスラ文章を読めない。 ストレスを感じながらやってる。 成長には多少の負荷が必要だと思うけど かなり負荷がかかると いやになっちゃうよなー 段階に合うものに変えてもらおうか 短くするか 何か手立てをとりたいなー 全員同じ、やはり無理があるよなー と傍らで見て聞いて考えていました。 今度は中身にフォーカスして、 ライオンやらしまうまは 赤ちゃんがこれからを生きていけるように 自然の法則にのっとり

母になると、みんな生まれ変わる。

私は、教員を退職する前後あたりから、 社会活動に関わる機会が多くなった。 環境問題に取り組む団体さんが最初。 そこに属していた友人に声をかけてもらい、 事務のお仕事を少しだけさせてもらった。 その中の、環境と食の繋がりを伝えるグループに入り、 イベントを立ち上げたり開催したりしていた。 それらは東京を拠点に活動していたのだけど、 群馬に移住してからも 環境と食のつながりで出会いがたくさんあり、 自宅でワークショップを開くに至った。 そこから、 ずっと抱えていた母とし

40の私が振り返る、35歳からのライフシフト。

移住とか退職とか起業とか育児ノイローゼとか 自分の身に起きたことで語ることが多かったのですが、 ライフステージごとに年齢で区切って振り返ってみたら 35歳でガラッと変わったことがわかりました。 これを眺めて、なんと言うか、 35歳を境に 「普通」でいようとすることを諦め 「自分らしく」生きること、 「自分の幸せ」を追求することを決めたんだ それをハッキリ認識しました。 だけど、 「自分らしさがわからない」「取り繕ってしまう」って 39歳で心の講座を受けたりし

夫婦で卒サラ移住ストーリー③どんな人生にしたいか?

「大好きだった祖母の家が、人の手に渡るかもしれない!?」 そこから急展開、約2週間で夫の退職&移住を決断しました。 それが①話。 けど実は、移住がしたかったのではなく、 無理して自分や家族を傷つけてしまう生き方を変えたかった。 というのが前回の話。 私1人で子育てするのは限界。 私も子どももみんな幸せになるために、家庭の中に夫の存在が必要だった。 その形で、家族の再スタートを切りたくて、移住したのでした。 当時の私は、うつ状態からちょっとずつ上がってきたくらいだった

夫婦で卒サラ移住ストーリー②どん底から見出した幸せに生きる軸

夫婦で卒サラ移住ストーリーを、たくさんの方に読んでいただき、 いいねやコメントもたくさんいただき、 ありがとうございます! 励みになりつつも、勝手にプレッシャーを感じたり、 うまくまとまらずに自責の念にかられたりして、、 でも、これを書ききった時に、 私にとって必要なものが得られる気がしていて、 そのワクワクする可能性を信じて書いていきます! 最後までお付き合いいただけたら嬉しいです^^ このストーリーを書き始めたのは、 そう言われたのがきっかけ。 確かにすごい決

夫婦で卒サラ移住ストーリー①最強の夫婦が掴んだタイミング

最強の夫婦、とか言ってしまって、 自分でも言い過ぎなような恥ずかしいような気もしますが、 でも、読み返すと、やっぱりそうだと思えたので、 このままのタイトルでいきます。 楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。 小学校の教員をしていた私、 企業でプログラマーをしていた夫、 未就学の2人の子ども+愛犬で暮らしていた。 そこから夫婦二人とも仕事を辞め、 新築マンションを売って、無職無収入のまま 地方の古民家に移住したストーリーを書いています。 地方の古民家というのは、私の祖母

夫婦で卒サラ。無職・無収入で田舎移住。なんでそんなことができたのか?

教員でつまずいて 子育てでもつまずいて 仕事や環境に縛られていることも 染みついた思考に縛られていることも 終わりにしたい! 人生仕切り直したい! そう思ってやってきたこれまで。 教育・子育てと、 自分軸&能力を活かした生き方・働き方という面で 発信してきたけれど、 夫婦で仕事を辞めて移住したことも 大事な軸だよね と言われて、 そうか、あまりそこを重要視してこなかったなと思った。 普通そんなことできない。らしい。 片方が辞めて起業するのはよくある話だけど、

言語化コーチになるまでのストーリー&嬉しいメッセージ

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希(かずき)です。 約1週間かけて、教員をしていた頃から、 辞めて、言語化コーチとして歩み始めるまでを ストーリーにして書いてきました。 今、なぜ、私が言語化コーチをするのか 頭でも心でもわかっていたつもりだったけど、 改めて言葉にしてみることで、 厚みも深みも増して 自分に強く根差しているものだと 再認識できました。 最終話にも書きましたが、 自分の本当の気持ちを表す「言葉」にして フラグを立てる。 その言葉が目印&原動力になり

やっとたどり着いた、私がやりたかった「これだ!!」(最終話)

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希です。 「いい人・できる人」でいることにしがみついて ブレて疲れてを繰り返してきた私が、 自分だからこその思いや強みにたどり着き 「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。 前回、第5話は、 教員退職後、いろいろなご縁からイベントを運営し始め、 軌道に乗っていたけれど、 またしてもバーンアウト寸前・・・ しんどくなってしまったことを書きました。 今日は最終話。 人生の迷子になりがちな私が 今度こそ「これだ」と思え

自信を取り戻し順調にやっていたのに、またやってきた「なんか違う」(第5話)

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希です。 「いい人・できる人」でいることにしがみついて ブレて疲れてを繰り返してきた私が、 自分だからこその思いや強みにたどり着き 「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。 前回は、 病休に入り、人生のどん底を味わいながらも、 新しい視点を手に入れ、 世界の見方、自分への見方が変わり、 退職を決めたところまで書きました。 今日はその続き。 安定を手放すということも、 職を失い自分がどうなってしまうかわからないとい

先生なのに学校に行けなくなった私を、引き上げてくれたものたちとの出会い(第4話)

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希(かずき)です。 「いい人・できる人」でいることにしがみついて ブレて疲れてを繰り返してきた私が、 自分だからこその思いや強みにたどり着き 「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。 前回、第3話は、 育休から職場復帰し、 大変さをなんとかごまかして働いていたけれど、 プツンと糸が切れたように学校に行けなくなり、 病休に入ったところまでを書きました。 その続き、今日は第4話です。 病休中、私の心と頭の変化が著しかっ

まさか私がうつ?病休?受け入れがたい現実が目の前に…(第3話)

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希です。 自信がなく軸もなく、ブレまくってきた私が、 自分だからこその思いや強みにたどり着き、 「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。 前回は、 自分の子育て観を語るママ友たちの姿を見て 語れない自分自身にまた無価値感を抱いていたこと、 でも、自分を大切にする感覚がインストールされて 自分を信じていいと思え、前向きになれたことを綴りました。 さて、今日は育休を終えて、職場復帰した当時のことです。 人生で最大のどん

自分の子育て観をもつママ友たちが輝いて見える。私は私の価値観がわからない…。(第2話)

こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希です。 自信がなく軸もなく、ブレまくってきた私が、 自分だからこその思いや強みにたどり着き、 「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。 前回は、 教員の仕事にやりがいを感じ意欲をわかせながらも、 一方で自分には何もできないという「無価値感」に苛まれ、 責任ある仕事を任されれば任されるほどにプレッシャーとなっていた 心の葛藤を書き綴りました。 今日は、一転して産休・育休時期のこと。 ここでも私は、教員と同じような