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一度染みついたものは、なかなか消えない
いつからか、セミの鳴き声が聞こえなくなった。
気づけば長袖を着ることが多くなり、ほんの少しだけ肌寒い風が夏の終わりを告げていた。
部屋のカレンダーは存在を忘れられ、7月のままめくられずに、ひっそりと壁に掛けられている。
そんなことを思いながら、僕は全速力で走っていた。
朝、駅までの通勤道を走るのがルーティーンになっている。ルーティーンにしたくはないが、なってしまっている。
今日も今日とて、全力疾走をしていた。
「仕事に遅れちゃう。」
そう、僕は朝にめっぽう弱い。毎回ギリギリまで寝てしまう。フレックスだからと甘え、いつも10時半のコアタイムギリギリに出社している。
定時の9時に出社することは、ほぼ無くなってしまった。
遅刻癖。僕の生涯の天敵の名だ。社会人になってから電車遅延以外の遅刻はさすがにしたことないが、遅刻とは切っても切り離せない関係にまで上り詰めてしまった。
僕の遅刻癖は中学校に入ってからその才能を開花させた。
クラスでは遅刻常習犯。中学校では8時半から10~15分ほど読書時間というものが設けられている。その時間はみな読書をするため教室は静まり返る。
そんな中、全速力で階段を駆け上がった僕は息を切らしながら教室の扉を音を立てないようゆっくりと開け、教室にそろりと入っていく。
どんなに静かに教室に入ろうと、数名の生徒は僕の存在に気づき、後ろをちらっと向いてはまた読書を再開する。
教卓前に鎮座する教師の目はとても冷たく、僕のほうをまっすぐ見つめていた。
自席にカバンを置き、そのまま廊下へと向かう。それに続いて担任も廊下へ歩みを進める。説教タイム開始だ。
そんなことを3年間繰り返した僕の遅刻回数はみるみる伸びていき、指定校推薦をもらえる基準から大幅に外れ、普通の高校受験を受けることになった。
高校受験。一緒に受けた仲良し3人組で合格発表を見に行った。
「受かってるかな?」
「いや、受かってるよ!」
「誰か1人落ちても恨みっこなしな!」
そんなことを言いながらこの春進むかもしれない高校へと歩みを進める。
その道中、泣きながら帰る受験生を何人も見た。その度心の中はぐちゃぐちゃになっていく。次第に3人の会話は減っていく。
帰っていく学生の中に同じ中学の同級生も混ざっていた。何と声をかければいいか分からず、彼らに気づかれないように、斜め下を向きながら、合格発表の場へと向かった。
結果はというと、3人とも無事に受かっていた。諸々の入学手続きをすませ、仲良く3人で「高校でもよろしくな!」と言って家路を急いだ。
高校に入ってから僕の遅刻癖はさらに開花し、潜在的に眠っていた「サボり癖」という才能さえも開花させてしまった。
僕が通っていた高校は割とあたらしめの学校で、新設されてからまだ十数年しか経っていなかった。
そんな高校は僕の家から自転車で15分もかからずに着ける。逆に何分あれば最速でつけるかということを3年間も研究した。
通学路でどのタイミングで信号が変わるか、あの道は通行量が多いから裏道を行こう。そんなこんなで試行錯誤した結果、信号に捕まらずに最短で行ける距離を発見し、なんと通常の登校時間の半分、7分で学校につくことができることを知ってしまったのだ。
それから僕はギリギリのギリギリまで眠り、結局遅刻してしまうというバカを繰り返した。
僕の高校は学年が上がるにつれ階数も上がり、登る階段が倍になっていく。僕が学校につくと同時に朝のホームルームのチャイムが鳴る。
目の前にはゆっくりと横一列に階段を駆け上がる女子。彼女らのせいで朝のホームルームにギリギリ間に合わなかった回数は数え切れない。何度彼女らを恨んだことか。
サボり癖が本格的に現れ始めたのは、高校一年3学期の部活からだ。当時、部活内はいろいろとゴタゴタしていた。先輩との衝突、顧問への不満、同期の退部、先輩の退部。とにかくいろいろとゴタゴタしてた。
それが理由で部活をサボり始めたのもあるが、もっと大きな要因は花粉症だ。僕は朝にも弱いが、春の花粉にもめっぽう弱いのだ。花粉症がひどすぎて学校自体を休むことも多々あるぐらい、花粉に人生を狂わされてきた。
花粉に襲われ、授業もろくに集中できない。夜も鼻が詰まりすぎて眠れず、部活までの元気がない。
花粉を理由に部活を1ヶ月ほどサボり続けてしまった。僕が所属していたバドミントン部は割とゆるい部活だった。サボってもお咎めなし、遅刻してもちょっと気まずいだけで特にペナルティはなし。そんな部活に嫌気がさし辞めていった同期もいた。
1ヶ月もサボり続けた僕はスマッシュを打てなくなっていた。それまで割と早く力強い僕のスマッシュは跡形もなくこの世から姿を消した。そのスランプから抜け出すのに多くの時間を費やした。
学年が上がってからも僕の遅刻癖はひどくなっていった。2年に上がってから遅刻にペナルティがつき始めた。5回遅刻すると、朝早く登校して掃除をするというような内容だ。ただでさえ通常の登校時間に間に合わない僕は、そのペナルティを学期末まで持ち続けた。
すると、何が起こるかというと、学期末みんなが帰る時間に居残りで大掃除をさせられるのだ。遅刻常習犯の僕は必ず参加させられていた。ある意味問題児である。
2年の担任は割と冷徹な人で、でも時々ユーモアのかけらを醸し出すような人だった。
遅刻すると、ホームルーム後にゆっくりと先生は僕に近づいてきて、
「おい、橋本。お前また遅刻か。」
と言いながら壁へと追いやられ、頭を小突かれる。
そして肩に手を回し、低い声で耳元で先生が囁く。
「お前次遅刻したら分かってるよな?」
冷や汗が止まらなかった。頭を小突かれる程度で暴力を振るうような人ではなかったが、脅迫ともとれるその低い声から繰り出されたその言葉はまるで呪いのように僕の脳裏から消えることはなかった。
それどころかその発言が悪い方へと作用してしまった。僕は遅刻しそうな日はもう諦めてホームルームが終わってから学校につくようになってしまった。冷徹な先生と顔を合わせないように。雨の日もレインコートを着て自転車通学するのが嫌で、学校の最寄までたった一駅しかないのに、遅延証明書をもらうために電車で通学することも多々あった。
高校三年は特にひどかった。一番記憶に残っているのは、高校生最後の体育祭の日だ。前日に気合を入れて髪を切った。運動部に所属しているにも関わらず、体育祭大好き好き君ではなかったため、基本的には体育祭は嫌いだ。しかし高校三年の体育祭だけはなぜかものすごく楽しみだった。
楽しみすぎたせいか、よく眠れず、体育祭当日も遅刻をした。でも体育祭で大事な話があると思い、運動着に着替えバチバチにワックスで固めた頭にハチマキを巻き、ホームルームへと向かった。
するとハチマキ姿にバチバチにワックスで決めた僕をみて友達は「めっちゃ気合入ってんな」と言った。少し笑いが起こったがその中でも先生は鋭い眼差しで僕を見ていた。あの先生の目を僕は忘れることができなかった。
学年末の成績表を見ると、遅刻の回数は1年間で余裕で30回を超えていた。僕のクラスには遅刻常習犯が3人いるのだが、その中でも僕は学校までの距離が一番近いにもかかわらず、遅刻が多かった。無論、大学受験の推薦枠はもらえるわけもなく、普通に一般受験で大学へと進んだ。
大学生になったからと言って遅刻癖が治ることはなく、何度も抗議に遅刻し、何度も授業をさぼった。その結果何が起こったかというと、僕が講義に出ていない間にグループが出来上がってしまったのだ。つまり、僕は友達がいないのに授業をさぼり続け、ノートを見せてもらうことができず、単位を落としまくった。
「大学生は単位を落としてなんぼ。」
そう言って僕は1年生でマックスで48単位とれるものを28単位しかとることができなかった。のちに大変な目に合うとも知らずに。
そんな怠惰な学生生活を送った結果、大学四年時点で卒業のために必要な単位が38単位も足りていないことが発覚。就活、バイト、卒論、授業。大学4年にして一番忙しい学生生活を送った。
就活で授業に出れない日はありとあらゆる人脈を駆使してノートを見せてもらった。ほぼほぼ絡みのないゼミの後輩にLINEを送り、丁寧な言葉でノートを見せろと威圧する。そうすることで僕はより近寄り難い存在へとなりさがる。
講義では常に最前列を確保し、真剣に講義に取り組んだ。テスト前はしっかりとバイトを休み試験勉強に明け暮れた。
そんなこんなで、僕は40単位を取ることができ、ギリギリで卒業することができた。3月になるまでワンチャン留年あるぞと人生のどん底にいたが、なんだかんだ人生何とかなるんだなと実感した、ある意味貴重な4年生だった。
先日、マッチングアプリで知り合ったことデートの約束を取り付けた。取り付けたというより、あちらの女性が僕にぞっこん(自惚れ)のように感じた。積極的にメッセージを重ね、ついに彼女の方から「あなたと話してるの楽しいです!よかったらLINEで話しませんか?」という男性がもっとも求めているメッセージをもらうことができた。
彼女は良くも悪くも「普通」だった。でも、笑顔がとても素敵でよく笑う子だった。電話越しでしか話せてないが太陽のような子だった。
いよいよ、デート当日を迎えた。そこで事件が起こる。
ここまで読んできた人ならちょっとだけ予想できるかもしれない。そう、僕の「遅刻癖」及び「サボり癖」が発動してしまったのだ。そう、僕は彼女とのデートを体調不良と称し、ドタキャンしたのだ。
先日までウキウキだった僕の心はどこかへ行ってしまい、「めんどくさいな」という感情だけが心に残ってしまった。
ピコン。彼女からのLINEが来る。
「もうついちゃった!いまかずきくん、どこにいる?」
「ごめん、体調崩しちゃって、今日行けないや。ドタキャンごめんね。
「・・・」
彼女から返信が来ることはなかった。
逃した魚は大きかった。それに気づいた頃には彼女にブロックされていた。
「僕はダメ男だ。あの頃の自分から何一つ、変われちゃいない。」
変わろうと思っていたのに変われていなかったこと。彼女が体当たりで教えてくれたのかもしれない。
「僕はもうダメ男にはならない。ちゃんと変わるんだ。」
僕は自室のベッドで固い決心を胸に、ボロボロと大粒の涙を流し、ベランダから見える沈んでいく綺麗な夕日に彼女を重ね、た ぼんやりと眺めていた。