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脱学校の社会とHCI:学びの未来の実現を目指して

AI-Guided Learningと学習者主体性

著者は現在、博士課程での研究の一環として、音声・動画コンテンツを用いた学習環境において「時間効率」と「学習者主体性」の向上を目指している。その中心に据える「AI-Guided Learning」とは、学習者一人ひとりが自分の興味・目標に合わせて知識へアクセスし、学習プロセスを自らデザインできるよう、AIを活用して学習環境全体を最適化・支援する総合的な枠組みである。ここで重視されるのは、単に「人間がAIから直接学ぶ」関係にとどまらず、学習者が自らの興味や目標に沿って効率的かつ柔軟に知識へアクセスし、自己主導的に学習プロセスを組み立てられるよう、AIを活用して学習環境全体を最適化・支援する総合的なデザイン思想を指す。

たとえば、将棋界ではすでにプロ棋士がAIソフトを活用して新たな戦略や定石を見いだしている。これは「人間がAIを参照しながら学ぶ」という現象が特定分野で顕在化した事例である。しかし「AI-Guided Learning」は、こうした点的な事例を超えて、音声や動画、さらには多様な学習リソースへと対象を拡張する。学習者は必要なタイミングで様々な知的資源へアクセスでき、AIは個々の学習者の理解度や嗜好、利用可能なコンテンツ特性に応じて、学習過程に柔軟なサポートを提供する。以上のようなAI-Guided Learningアプローチによって、学習環境は特定の教師や組織の制約から解放され、学習者自身が主導する自律的な学習基盤へと近づく。

デジタル時代における「脱学校」

こうした「AI-Guided Learning」によって実現しつつある自律的で柔軟な学習環境の方向性を考える際、その思想的背景に目を向けることは有益である。最近、博士論文執筆の過程で、イヴァン・イリッチが『脱学校の社会(Deschooling Society)』で描いた「制度から解放された学習社会」の構想を改めて参照する機会を得た。半世紀前にイリッチは、人々が学校制度に縛られず、自らの興味に沿って学べる社会像を提示した。しかし当時は、インターネットはおろかパーソナルコンピュータすら普及しておらず、その構想は多くの人々にとって実現困難な理想論に映ったはずである。ところが今日、情報技術の飛躍的な発展により、イリッチが思い描いた「脱学校」的な学習環境は、デジタル空間を通じて部分的ながらも具体化されつつある。このような思想的源流に立ち戻ることで、HCI(Human-Computer Interaction)の研究はイリッチの哲学的基盤と交差し、自身の研究がそこにいかなる新たな価値を付け加えうるのかを再考する手がかりを得ることができると考えたのである。

『脱学校の社会』(Ivan Illich, Deschooling Society, 1971)

学習者主体の学習社会とHCI

イリッチは、学校制度が画一的なカリキュラムや資格制度を通じて学習を一方向的に管理する現状を批判し、学習者が自らの興味や関心に基づいて、日常生活に根ざした知識の探索や交換を自由に行える「学習のためのネットワーク」を構想した。この理念は、アン・スクーリングやフリースクールなど学習者中心のオルタナティブ教育実践において部分的に具体化されている。これらの場では、教師はもはや単なる知識提供者にとどまらず、メンター、コーチ、ナビゲーターとして学習者を支援する役割を担う。その根底にあるのは、学習者自らが自由に学習経路を設計できるという考え方である。この「学習者による学習デザイン」の発想は、情報技術を用いた学習環境やインタラクション設計において重視される、HCI領域の「ユーザ中心設計」の理念とも通じ合っている。

ユーザー中心設計(左)から学習者中心設計(右)への発展を示すモデル図。スキャフォールディング(学習者の成長に応じた段階的支援)が統合されている点が特徴的。(Soloway et al., 1994より)

自律的学習環境の実装

こうした「学習者主体性」や「自律的学習ネットワーク」の理念は、近年のHCI分野において、理論的主張の段階を超え、具体的なシステムやインタラクションデザインへと実装されつつある。たとえば、UISTやCHIといったHCI分野の国際会議では、学習者自身が教材や進行ペースを選び、適切なタイミングでフィードバックを受け取ることができるインタラクティブなダッシュボードや、個々の理解度・嗜好に応じて学習経路を動的に調整する適応学習システムなどが多数報告されている。

これらの取り組みは、学習者が自ら能動的に知識習得のプロセスをカスタマイズできる「学習インタフェース」を創出する試みといえる。たとえば、Wambsganssら(2020)はNLPを活用した適応型学習支援システム(AL)を提案し、学習者が自身の文章に対して議論構造や説得性などについて即時かつ個別的なフィードバックを受けられる環境を実現している。また、Parkら(2024)は、学習者モデル化(student modeling)を組み込んだ対話型チュータリングシステムを開発し、LLM(Large Language Model)の能力を活用して、学習者ごとに適切な指導戦略を提示するフレームワークを提示している。これらの研究は、学習者が自らの思考過程を振り返り、理解度や応答内容に基づいてチュータリング手法を動的に調整する可能性を示している。

ALシステム: 学習者が入力したテキストに対し、主張や証拠(プレミス)の抽出、説得力や一貫性、可読性といった指標が即座に提示される。(Wambsganss et al., 2020より)

さらに、より発展的な技術として、学習ログや行動履歴を解析し、学習者の習熟度や関心に合わせた教材を自動的に推薦するパーソナライズド教材推薦システム、学習目標に応じて自動的にスライドを生成するプレゼン資料作成支援ツール、あるいは個人のスキル習得状況を可視化・分析するメタ認知支援ツールなどが開発されている。これらのシステムは、学習者が自らの興味や必要性に応じて知識資源へアクセスし、能動的に学習過程をデザインできる環境を技術的に後押ししており、イリッチが描いた「自律的学習者ネットワーク」の理念と通底する側面を持っている。

著者の博士研究:AI-Guided Learning

著者は、「AI-Guided Learning」という概念的枠組みのもと、学習者が膨大な音声・動画コンテンツから必要な情報を効率的かつ主体的に獲得できる環境を構築することを目指している。イリッチの「学習社会」では、誰もが自由に知へアクセスできる状況が描かれていた。しかし、現代の学習者にとっては、MOOCsやOER(Open Educational Resources)といった多様なリソースへのアクセスは容易になった一方、そこから自らに最適な知識を抽出し、短時間で理解・活用する支援が十分ではないという新たな課題が生じている。

この問題に応えるため、著者は研究を通じて、「時間効率」と「学習者主体性」を強化する3つの技術的アプローチを提示する。これらは、学習者が自ら学習経路を動的に設計し、必要に応じて学びを柔軟に組み替えることを可能にする「AI-Guided Learning」環境の中核となる。

AIxSpeed
AIxSpeedは、ポッドキャストや講演動画などの音声コンテンツを、理解を損なわずに高速再生する技術である。音声認識モデルによって発話内容を解析し、意味の破綻が起こらない範囲で速度を自動調整するため、煩雑な操作をしなくても必要な部分を効率よく確認できる。これにより、長時間の講義や番組を一挙に消化でき、「時間効率」を格段に向上させるだけでなく、Web上に無数に存在する音声リソースを「必要な箇所だけ素早く聴取し、学習に取り込める」環境へと変換できる。結果として、学習者はスキマ時間を使いながら、興味のあるコンテンツを任意に組み合わせた学習プランを構築しやすくなる。

FastPerson
FastPersonは、長時間の動画コンテンツから重要なポイントだけを抽出し、「要約動画」に再編成するシステムである。大規模言語モデル、OCR、物体検出など複数の技術を統合することで、スライドや図表・講義音声などを総合的に解析・要約する。これによって、視聴時間の短縮だけでなく、学習者がどの部分を重点的に掘り下げるかを自分で選択しやすくなり、「時間効率」と「学習者主体性」の双方を高められる。また、Web上に多数アップロードされている講演動画を必要に応じて要約し、学習者のレベルに合ったダイジェスト版として提供できる点も特筆に値する。

Profy
Profyは、学習者の行動や音声・動画データを解析し、熟練者(プロ)のパフォーマンスと「どこが異なるか」を可視化する学習支援システムである。言語学習におけるネイティブ発音との差異を知るだけでなく、たとえば楽器の演奏やスポーツ技能など、さまざまな分野でプロの動作や発声・発音と比較しながら学習を進められるのが特徴である。自己教師あり学習を用いた汎用モデル設計により、特定の教師やカリキュラムに縛られず、学習者は自律的な改善プロセスを通じてスキルを向上できる。同時に、「プロの動画や音声を学習対象そのものに昇華する」という新しい学習スタイルも実現し、結果的にWeb上にある数多くの熟練者動画を効率よく活用しながら学習できる環境が生まれる。

これら3つのアプローチは、Web上に遍在する多様なメディアコンテンツを、学習者自身が自由にナビゲートできる学習環境へと変換し、特定の制度や教師への依存を軽減するインタフェースを提供する。こうした「AI-Guided Learning」により、学習者は個人の興味・目標・学習スタイルに合致した教材を自在に選び、効果的な経路設計を行うことができる。すなわち、デジタル時代における「脱学校」的な理念の再構築につながる新たな学習エコシステムの一端を、本研究は提示しているのである。

AIxSpeed: 高速聴取向けの音声変換システム。音声をN倍速に変換し、音声認識に通して認識に失敗するところはゆっくり変換することで、全体として高速かつ聞きやすい音声変換を実現。(Kawamura & Rekimoto, 2023より)

学習者主体のエコシステムと今後の展望

テクノロジーの進歩は、生成AIやAR/VR、IoTなどを通じて学習環境をこれまでになく多様かつ柔軟なものへと拡張している。こうした環境拡張のなかで、HCI研究は単なる技術導入にとどまらず、人間中心設計に基づく「学習者主体のエコシステム」構築の鍵を握る存在となる。

そこで着目すべきなのが、イリッチが半世紀前に提示した「脱学校」の思想である。これは、教育を特定の制度から解放し、学習者が自らの知的欲求に応じて学びを組み立てる社会像を描いたものであった。現代では、HCI的アプローチやAI技術を活用することによって、この理念に通じる要素——学習者の主体性強化やリソースへの柔軟なアクセス——を部分的に実装し始めている。ただし、イリッチが想定したのは学校制度からの本質的な解放を伴う社会的・制度的な転換であり、現在の技術群は未だその全体像を再現するには至らない。

それでも、これらの先行的システムは、半世紀前の理想に一歩近づくための有力な足がかりとなり得る。すなわち、HCI研究とデジタル技術を組み合わせることで、学習者は自らの興味や目標に合わせて学習経路を動的にデザインし、必要に応じて組み替えることが可能な環境を得られる。これは、「脱学校」的な理念をデジタル時代に再考・再構築する一端を担う試みとも言える。

著者が提案する「AI-Guided Learning」は、こうしたビジョンを技術と学術研究の両面から前進させる挑戦である。高速理解技術や自律的な教材推薦、メタ認知支援などを統合することで、学習者は学校制度に依存しない、よりオープンで自律的な学習環境へと近づくことが期待される。

今後、この「学習者主体のエコシステム」をより深化させるには、社会制度やインストラクショナルデザイン、メディアリテラシー、さらには人文社会科学分野との連携が必要となる。こうしてデザインスペース全体を見渡し、設計原理を洗練していくことが求められる。HCI研究者は技術的イノベーションだけでなく、制度設計や学習共同体の創発的形成を支援する仕組みづくりにも関与しなければならない。このような多面的なアプローチを通じて、「脱学校」的な理念はデジタル時代に即した形で再評価され、新たな学習共同体やエコシステムのあり方が模索され続けていくだろう。

本noteはHuman-Computer Interaction (HCI) Advent Calendar 2024の12/13の記事です。

参考文献

  • Illich, I. (1971). Deschooling Society. New York: Harper & Row.

  • Kawamura, K., & Rekimoto, J. (2022). DDSupport: Language Learning Support System that Displays Differences and Distances from Model Speech. 21st IEEE International Conference on Machine Learning and Applications (ICMLA), pp. 313–320. doi:10.1109/ICMLA55696.2022.00051

  • Kawamura, K., & Rekimoto, J. (2023). AIxSpeed: Playback Speed Optimization Using Listening Comprehension of Speech Recognition Models. Augmented Humans International Conference (AHs), pp. 200–208. doi:10.1145/3582700.3582722

  • Kawamura, K., & Rekimoto, J. (2024). FastPerson: Enhancing Video Learning through Effective Video Summarization that Preserves Linguistic and Visual Contexts. Augmented Humans International Conference (AHs), pp. 205–216. doi:10.1145/3652920.3652922

  • Soloway, E., Guzdial, M., & Hay, K. E. (1994). Learner-centered design: The challenge for HCI in the 21st century. interactions, 1(2), 36–48.

  • Park, M., Kim, S., Lee, S., Kwon, S., & Kim, K. (2024). Empowering Personalized Learning through a Conversation-based Tutoring System with Student Modeling. In Extended Abstracts of the CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (pp. 1–10). doi:10.1145/3613905.3651122

  • Wambsganss, T., Niklaus, C., Cetto, M., Söllner, M., Handschuh, S., & Leimeister, J. M. (2020). AL: An Adaptive Learning Support System for Argumentation Skills. In Proceedings of the 2020 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (pp. 1–14). doi:10.1145/3313831.3376732

著者紹介:河村和紀
2021年に京都大学大学院情報学研究科修士課程を修了し、情報学修士を取得。現在は、東京大学大学院学際情報学府の博士課程に在籍するとともに、ソニーコンピュータサイエンス研究所でも、Human-AI Interactionの視点から機械学習による人間の技能獲得支援『AI-Guided Learning』に取り組んでいる。 近年は、ユーザの深い理解やユーザグループへの効果的な介入を通じて、社会全体の幸福度や能力向上を目指す研究に関心を寄せており、その過程で人文社会科学の理論を取り入れた機械学習技術の研究にも力を入れている。さらに、複数の機関でAI教育に携わり、基礎研究から実用化、そして教育への展開までをシームレスにつなぐことを目指して活動している。


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