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銀河帝国の誕生ーマルレーヌ・ラリュエル「運命としての空間ー地理と宇宙をとおしたロシア帝国の正当化」を読んでみた

ウクライナ戦争、ロシア現代思想関連文献を読みつづけています。
今回はフランス人歴史家マルレーヌ・ラリュエルの2013年の論文「運命としての空間ー地理と宇宙をとおしたロシア帝国の正当化」(平松潤奈訳 『ゲンロン7』2017年に収録)を読んでみます。

ラリュエルはナショナリスト的言説の構築物たる帝国(ユーラシア主義)と、空間(地理と宇宙)の関係を明らかにすることをめざします。
そのために三つの構築物(ナラティブ)を分析します。

1)古典的ユーラシア主義
1920年代〜30年代にロシア人亡命社会で生まれた地理学的イデオロギー

2)宇宙主義とユーラシア主義の結合
20世紀後半のレフ・グミリョフの理論

3)ポストソビエト期のロシア帝国性と空間の関係
ロシア帝国性の正当化


1)古典的ユーラシア主義

1920年代〜30年代のユーラシア主義を整理します。

ある汎スラブ主義の言語学者は、ロシアはヨーロッパでもアジアでもなく、それらの中間世界であるとした。ロシアの地理的位置と民族的多様性がロシアのアイデンティティにとって重要だった。

ちょっと意外。ロシアがアジアにコンプレックスがあるのであれば、ヨーロッパとアジアの間の第3項だというのは理解できます。意外だったのは、ロシアがアジアをそこまで重要視していたことについてです。

本論文には以下の指摘があります。

ユーラシア主義は、西洋の「認識論的帝国主義」を退けることで、世界を包括的に説明できると主張した。この立場からすれば、ヨーロッパは、みずからのものの見方を世界の他の地域にも適用して、政治的・経済的な後進性を測る基準を設け、文明の多様性をかき消してしまう。…ヨーロッパがおのれのアイデンティティを表現するモードは歴史である。ロシアにとってそれに対応するモードは、地理である。

『ゲンロン7』 115P

コンプレックスの対象であるヨーロッパに対抗してもう一つの道を辿るという発想についてはなんら違和感ありません。だからヨーロッパが最先端で、ロシアもその他も後進国であるという価値観を否定するユーラシア主義に賛成です。そして地理を重要視することについても、まあこの時点ではしょうがないかなとは思います。しかし歴史を否定することについては反対です。

サヴィツキー(地理学者・経済学者)によれば、ユーラシアは、非線形的時間、つまり循環的時間の特殊な力学にしたがうのであり、この循環性は、地理的要因と遊牧民文化によって説明できるという。

『ゲンロン7』 116P( )は筆者

歴史を軽視するというよりは、時間の流れ方がヨーロッパとロシアでは異なるということですね。ちなみにサヴィツキーが生きていたのは1895年-1968年。この頃に遊牧民を思想的根拠にしようとしていたようですね。ちなみにドゥルーズ&ガタリが遊牧民論を主題にしたのは『千のプラトー』で1980年刊行。サヴィツキー、早い。

サヴィツキーのこの考え方からすると、時間の流れ方はひとつではなくなります。地域によってバラバラに時間は流れるのでアイデンティティになりにくい。だから時間性より地理性が重要視されるようになります。ここまで説明されてようやく、時間より地理を優先させる意味がわかってきます。

この地理を重視する考えによって地理的拡大が志向されるのだという。

ユーラシア主義者の最終目標は、ロシアの占める領域がロシアのものであるのは自然であり、ロシアが帝国的構造を必要とするのは自明なのだと証明することにあった。

『ゲンロン7』 118P

2)宇宙主義とユーラシア主義の結合

つづいて20世紀後半、グミリョフによって提唱された理論を確認します。

グミリョフは、ユーラシアとロシア帝国を以下のように定義します。

「黄河からほぼ北極海沿岸までひろがる大広野(ユーラシア・ステップ)」と定義し、二つのいわゆるスーパーエトノスたるロシア人と広野の民とがユーラシア領域を支配したと述べる。したがってこの見地に立つならば、ロシア帝国の歴史は、これら二つのスーパーエトノスが広野においてゆっくりと交錯していく歴史に等しい。

『ゲンロン7』 119P

ちなみにスーパーエトノスとは、文化的・制度的に構築される近代的ネーションとは違い、自然環境などの生来的要因によって必然的に形成される民族集団を指すらしい。つまり生来的にロシア人とその他の民族はユーラシアでは統合されるというのだ。

ロシア帝国とは自然現象で、ユーラシアもロシアだと言いたいのでしょう。この土地は誰の土地問題です。とうぜん元々は誰のものでもないので、言った者勝ちということになるでしょう。

こういったユーラシア主義にグミリョフは宇宙主義も混ぜていきます。地球化学者のウラジミール・ヴェルナツキーの生物圏と叡智圏概念を参照しているとのこと。

ヴェルナツキーは、…1920年代には叡智圏すなわち思考領域という概念を展開した。これは地質圏(非生命物質)と生物圏(生命学的生)についで現れる、地球成長の第三段階とされる。彼によると地球の外皮はまもなく人間の理性が統御するようになる。

『ゲンロン7』 119P

グミリョフはこの影響を受けながら、人文科学と自然科学を統合しようとしたらしい。グミリョフはいう。

「…自然はわれわれの家であるだけではない。それはわれわれなのだ」

『ゲンロン7』 121P

たとえば太陽周期と人類史には相関関係があると考えていたらしい。太陽周期にしたがって戦争や革命が起きるといった考え方です。

なるほどそうかもしれません。ある理論神経生物学者は、文字と自然にも相関関係がある、つまり文字と自然は同じ形をしていると主張しています。人間が恣意的に創りだしたと思われている文字が実は自然そのものだったということです。

3)ポストソビエト期のロシア帝国性と空間の関係

最後にポスト・ソヴィエト時代を整理します。

政治哲学者のアレクサンドル・バナーリンによると、やはり西洋に対抗する理論が要請されたようです。

西洋が発展の唯一の原動力ではないことを、ロシアの存在自体が証明しているのだ。…ヨーロッパは、地域、民族、宗教などどの面においても、集団的な権利を犠牲にして個人の権利を優先している。そして個人のためには多元主義を是認する。しかし国家間の関係においては一極覇権主義的なアプローチをとる。ユーラシアはこのヨーロッパ・モデルのまさに対局にある。…西洋的観点に立つと、文明間の差異は時間生(「遅れ」や「先行」)によってしか説明されず、諸文明は、古代から近代までのびた一つの物差しで分類されることになる。こう論じて、バナーリンは提案する。分析ツールとして、こうした時間的物差しではなく、空間のカテゴリーを復活させ、それをもって非ヨーロッパ諸国家の差異の権利を擁護すべきなのだ。

『ゲンロン7』 122P

ロシア・ナショナリストのアレキサンドル・プロハーノフもロシア帝国を正当化します。

フョードロフ(ロシア宇宙主義者)とウラジミール・ヴェルナツキーがロシアに生まれたのは偶然ではない。最初の有人宇宙船がロシアから飛び立ったという事実は言うまでもないことだ。ロシアとはまさに、地球と天空とが出会う地点なのである。

『ゲンロン7』 124P ( )は筆者

またロシア民族複合研究協会の設立者・協会長のエヴゲニー・トロイツキーも正当化します。

ロシアの領土の広大さにはロシア精神の特質が見てとれる。だがこの広大さはさらに、地球外世界の征服に向かう道を切り開く広さでもあって、それゆえロシア独自の宇宙科学を展開しつづけることが重要なのである。…フョードロフによれば、ロシア帝国が大きな抵抗にも遭わずアジアに深く進出して領土獲得に成功したことは、この帝国が、性質の異なるもう一つの空間、すなわち宇宙空間を征服する運命にあることを告げる予兆だったのだ。

『ゲンロン7』 125-126P

銀河帝国の誕生である。

とんでも理論にしか見えないけれど、フョードロフなんかは、トルストイ、ドストエフスキー、ソロヴィヨフなどに影響を与えたほどの人なんですよね。さらにカリフォルニアイデオロギーにも影響を与えたと言われています。

世界中でナショナリズム旋風が吹き荒れている今こそ、ロシアのナショナリズムについて考えることに意味があるのではないでしょうか。どうしたら戦争を起こさずにすむのか考えるヒントになるのではないかと思います。

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